File NO.310 NPO法人 
         ボラナビ倶楽部
1.団体概要
団体の種類:NPO法人  代表者:森田麻美子  代表者の属性:代表理事
常勤職員:6名 設立年月2001年 事業規模:3,630万円(2003年3月決算)
2.沿革

ボラナビ倶楽部を起業し、代表を務める森田麻美子氏は1972年札幌市に生まれ、北海道大学経済学部を卒業した。北大在学中に1年間、アメリカオレゴン州の大学へ留学している。TV局の仕事に関心があった森田氏は、大学卒業と同時にNHK札幌放送局の契約社員になり、「イブニングネットワーク北海道」や「おはよう北海道」のキャスターを務めた。NHK勤務時代にNew York Careという、ボランティア求人募集のフリーペーパーを運営しているNPO団体に関して新聞で知り、1.5万人の人が購読し、ニューヨーク市民が気軽にボランティアをしていることに驚いた。1998年にNHK札幌放送局を辞め、次の道を模索していた森田氏に、番組で知り合った、車椅子の女性からボランティア活動へ誘われた。社会勉強のつもりでボランティア活動の現場へ足を踏み入れ、ボランティア活動の意義や生き甲斐、多様な人たちと交流できる楽しさを実感した。その一方で、ボランティアの人材を確保するため、ビラを作成し、配布しながら活動を続けていく大変さを知った。社会的に意義があるボランティア活動を支援したい気持ちに駆られた森田氏は、前述のNew York Careの新聞記事を思い出した。当時、日本ではボランティア団体が個別に会員向けの会誌を発行し、ボランティアを募集ているものの、米国のようなボランティア情報のフリーペーパーがなかった。そこに社会的ニーズを見いだし、森田氏は日本初のボランティアや市民活動の支援の冊子を制作する事業アイディアに行き着いた。ただし、この段階では綿密な事業プランではなく、まだ漠然としたものであった。

森田氏はボランティア活動を通じて知り合った人たちに声をかけ、森田氏の事業アイディアに賛同した大学生8名、社会人2名が集まった。以前、中心的ボランティアの担い手は主婦や高齢者であったが、阪神淡路大震災以降、若者のボランティアへの関心が高まっていたのも追い風になった。すぐさま、森田氏と若者たちは3ヶ月後には、日本初のボランティア情報誌を発行することにし、冊子を発行する主体として任意団体を作ることにした。集まった若者からの提案で、名前にはボランティアをナビゲーションしたい、という意味が込められ、「ボラナビ倶楽部」となった。19985月にボラナビ倶楽部は発足した。ボラナビ倶楽部発足のため声をかけた人の中から、北海道NPOサポートセンターの小林事務局長を紹介され、北海道NPOサポートセンター(札幌市中央区)に同居して活動拠点を確保した。家賃は1ヶ月1万円で、デスクと電話1本でスタートした。ボラナビ倶楽部を立ち上げたものの、ボランティアのためのフリーペーパー発行は、森田氏や他のメンバーにも出版事業の経験はなく、情報収集、編集、冊子の配布方法、発行資金の調達など様々な課題が山積していた。そうした課題を森田氏とボラナビ倶楽部のメンバーはアイディアを出し合って解決し、一歩一歩前進していった。例えば、情報収集は札幌市各区の社会福祉協議会へ行き、ボランティア募集の張り紙を見て、募集しているボランティア団体を訪れ、フリーペーパーへのボランティア求人募集情報の掲載を依頼した。冊子のレイアウトなどは友人の編集者がひな形を作ってくれた。雑誌を発行するための資金は、森田氏は前職であるNHK時代の人脈は使わず、飛び込み営業で出稿先を見つけていった。無名の任意団体が日本で初となるボランティア情報雑誌を作ると言っても、企業からは理解や支援が得られなかった。しかしながら、森田氏の情熱で資金提供者もNPOに理解がある個人や団体、企業と少しずつ集まっていった。情報冊子は若い人たちに気軽に読んでもらうため、ボラナビ倶楽部に参加している大学生が中心に交渉に当たり、大学へ置くことはすぐに決まった。その一方で、社会人からは配布先が大学だと入手しにくい、という声が聞かれ、大学以外の配布先を確保することになった。しかしながら、見本誌なども作っていなかったので、情報冊子を置いてくれる企業や流通チェーン店がなかなか確保できなかった。既に森田氏を信用し、広告を賛助金として拠出してくれている企業、集まってくれた仲間のためにも、雑誌の配布場所を確保しなければならなかった。そこで、森田氏は一計を案じ、ある流通チェーン会社へアポを取らず、受付でボラナビ倶楽部がやりたいことを叫び、社員の気を引いた。しかたなく対応した社員へ、森田氏の使命感とビジョンを熱く語った。するとその社員は、何部置けばよいのか、と問いかけ、最初の配布先が決定した。その流通チェーン店においてもらうことが決まってから、その店で配布してもらえるという実績を基に他の企業への営業もやりやすくなり、少しずつ置いてもらえる店が増えていった。

19988月、日本初のボランティア・市民活動の情報冊子「ボラナビ」が創刊された。発行部数は15,000部で、札幌市内のスーパー、書店、大学、銀行など350箇所で無料配布された。冊子の印刷費は20万円弱かかったが、NPO関係者の寄付や飛び込み営業で獲得した企業からの寄付によって賄われた。また、16ページの冊子の編集作業はメンバーやメンバーの友人がボランティアで行ってくれた。ある団体はイベントの運営スタッフを「ボラナビ」創刊号で募集し、必要だったボランティアを集めることができ、「ボラナビ」の効果が証明された。創刊号の好評に自信を持った森田氏は、第2号の発行部数を1万部増やし、2.5万部とした。

「ボラナビ」が地域へ浸透していったが、ボラナビを支えていたのはボランティアのスタッフは10名、有給の専従スタッフは森田氏のみの状態であった。しかしながら、「ボラナビ」を通じてイラストレーターがメンバーになり、「ボラナビ」を取材にきた雑誌記者が雑誌社退職後にボラナビ倶楽部へ参加し、ボラナビ倶楽部を訪れた情報技術に長けた人にボラナビ倶楽部のホームページ作成を任せるなど、組織が「ボラナビ」というメディアを介して拡大し、「ボラナビ」を核とする人と人、組織と組織のネットワークも広がっていった。ネットワークが広がることで、「ボラナビ」の情報量も増え、「ボラナビ」の社会的影響力も強くなっていった。19993月には、「ボラナビ」を通じてボランティアや市民活動に関心がある人たちのための勉強会と出会いの場、「ボラナビの集い」を開催し始めた。また、ボラナビ倶楽部の活動に感銘を受けた名古屋のボランティア団体が、「ボラナビ」を参考にして、名古屋で「ボラみみ」を1999年に発行し始めた。

ボラナビ倶楽部の台所は決して恵まれたものではなく、メンバーのボランティアと森田氏が私財を提供しながらなんとか維持されていた。しかしながら、任意団体として事業を維持するには、「ボラナビ」の社会的意義が高くなりすぎ、ボラナビ倶楽部の組織が大きくなりすぎ、代表の森田氏の負担も重くなりすぎていた。また、2000年には日本財団から助成事業を行ったり、行政との協働による事業の話も出てきた。後述する「ねっとボ金」の収納代行を行うコンビニとの契約のため、2001年に入り特定非営利活動法人の法人格を取得することになった。5月に特定非営利活動法人の認証を受け、登記を行い、ボラナビ倶楽部は組織として新しい成長ステージへ進んだ。

20019月には文部科学省から委嘱を受け、ボランティアへ関心を持つ100名の希望者が10の団体でボランティアを体験できる、「ボランティア活動よくばり体験事業」を実施し(事業総額266万円)、成功を収めた。また、ボランティア活動やNPOを維持するための資金が不足するという団体のニーズに応えるため、米国で行われていたインターネットを通じてNPOへ寄付するシステムを参考にし、9月から「ねっとボ金」をインターネット上で運用し始めた。ボラナビ倶楽部の活躍が社会から評価され、その名が全国的に知られるようになった。20023月には、ボラナビ倶楽部が入っていたビルの取り壊しの噂から、事務所を札幌通運ビルへ移した。一方、森田氏個人は4月からテレビ北海道の「経済ナビ」のキャスターを1年間務めた。

一方、ボラナビ倶楽部は2002年に経済産業省の「市民活性化モデル事業」へ応募し、その先駆的なビジネスモデルが評価され、採択された。経済産業省から補助金932万円を受け取り、12月から「ごちボラ」という北海道の特産品の物販とNPOへの寄付を両立させたシステムを運用し始めた。20033月にはプロポーザル方式で北海道庁から受託した事業(事業総額824万円)、市民活動の情報冊子「北の人々の輪」を発行とインターネット上での市民活動情報の発信も行っている。また、5月からは「後期パートナーシップ・プロジェクト推進に係る住民活力導入促進事業」もプロポーザル方式で受託に成功し(事業総額1,598万円)、ボラナビ倶楽部の活躍の場を広げている。
                     200311森田代表理事よりヒヤリング)

3.事業概要

 ボラナビ倶楽部の事業は大きく分けて、市民活動ポータルサイト「ボラナビ倶楽部」の運営、市民団体の交流会「ボラナビの集い」やシンポジウムの開催、「ボラナビ」の発行、「ねっとボ金」の運営、「ごちボラ」の運営、行政からの受託事業である。「ボラナビ」はボランティア情報を提供する28,000部(200310月時点で月により変動する)のフリーパーパーの発行で、企業や個人からの広告を資金源にして制作と配布が行われている。発行のための直接経費は印刷代43万円、冊子のデザイン・レイアウトの外注費6万円である。それに対して、企業やNPOから広告を得ているが、広告収入では直接経費もカバーできていない。しかしながら、「ボラナビ」は紙媒体であり、大学や小売店頭で手にとって読めるため、若い人から高齢者まで幅広い層に受け入れられている。「ボラナビ」を通じてボランティア活動へ初めて参加する人も多い。今後はボランティア情報を有料でアルバイト雑誌へ提供し、「ボラナビ」の費用をカバーすることも考えられている。

 市民交流会の「ボラナビの集い」は専門家を呼び、NPO関係者や市民が学習するイベントで、月1回開催している。専門家には謝金を払う一方、参加料金は無料にしているため、ボラナビ倶楽部が謝金などの費用を負担している。年に12回、行政との共催でイベントを行い、その収入で「ボラナビの集い」の費用もなんとか捻出している状況である。

「ねっとボ金」は、ボランティア団体へ募金したい人がボラナビ倶楽部のホームページへアクセスする。募金する人は、あらかじめこのシステムに登録してある募金を希望する団体と金額を指定し、自分の名前や住所などの情報を入力する。その情報を受け取ったボラナビ倶楽部が振り込み用紙を作成し、募金者へ郵送する。募金者はその振り込み用紙を使い、コンビニか郵便局でボラナビ倶楽部へ振り込みを行う。振り込まれた募金は、ボラナビ倶楽部が運営費として募金から200円を差し引いた金額を、翌月末に指定された団体へボラナビ倶楽部から送金される。振り込み用紙の郵送費が80円、コンビニの代行収納手数料が150円であり、ボラナビ倶楽部が受け取る200円の手数料では赤字になるが、現在は期間限定で150円のコンビニ代行収納手数料を期間限定で免除してもらっている。20038月末で募金総額は174万円、件数は153団体、登録団体は157となっている。

「ごちボラ」は北海道の特産物を販売するインターネット・ショッピングモールであり、なおかつNPOへの寄付を行うことを両立している。出店企業は34社、76商品である(200310月時点)。「ごちボラ」へは無料で「ごちボラ」へ出店できるが、出店企業は顧客の購入金額の5%を指定先へ寄付しなくてはならない。「ごちボラ」では、まず、利用客がインターネットの「ごちボラ」サイトから、商品セット(2,000円から5,000円までの3種類)を選び、顧客情報や届け先情報を入力する。同時に募金したい団体を登録団体から選択する。顧客からの商品の発注情報はボラナビ倶楽部から出店企業へ流され、注文を受けた企業は顧客の指示に従って商品を発送する。そして、企業は、顧客が購入した金額の5%を顧客に代わって指定団体へ寄付をする。「ごちボラ」のサイトは経済産業省の補助金で構築されたが、その後の運営費は企業6社からのバナー広告料で賄われている。

行政からの受託事業として、これまで文部科学省、北海道庁、経済産業省などからのものを行っている。こうした受託事業はボラナビ倶楽部の既存事業との相乗効果を活かしたものである。平成15年度は「後期パートナーシップ・プロジェクト推進に係る住民活力導入促進事業」を手がけている。この受託事業は北海道の根室管内と檜山管内でコミュニティ・ビジネスの立ち上げ支援を行うもので、これまでのボラナビ倶楽部の中心的事業であるボランティア団体に対する資金支援とは異なる分野のものである。そこで、民間シンクタンクとの協働でこの事業に取り組んでいる。この事業に成功すれば、ボラナビ倶楽部は地域経済活性化分野での収益源確保につながり、新しいビジョンが描けるのではないか。なお、このプロジェクトは緊急雇用制度を使った事業であるため、12名を新規雇用しているが、事業が終われば、雇用関係は解消される。また、2002年に日本財団の支援を受けて、小中学校教員と共に総合的な学習に関する研究会を発足させ、活動をしている。これまで、ボラナビ倶楽部が学生のボランティア体験を支援する事業との相乗効果もあり、教育現場における新しい方法論への関心が高まっている現状からすれば、今後の研究会の動向は注目されよう。

ボラナビ倶楽部は赤字の事業を手がけており、経営は厳しい状態である。優れたビジネスモデルを持つため、収益性改善のための方法はいくつか考えられるものの、森田氏の起業の原点である、困っているボランティア団体を支援したい、という使命と合わないことは行わないという経営理念を貫いている。そうした理念に共鳴する若い中核スタッフが、森田氏を含め、現在、6名働いている。今のボラナビ倶楽部は森田氏の個人の強い使命感と能力に依存する部分が大きい。その5名の若いスタッフが森田氏の片腕に育っていくことで、ボラナビ倶楽部は新たな発展段階へ進むことになるであろう。


4.分析
 ボラナビ倶楽部の事業内容とビジネス・モデルは、全国的に注目され、高い評価を得ている。支援するNPOへは負担を求めず、運営費を企業からの協賛金と市民からの寄付金で賄うビジネス・モデルであるのも1つの理由であろう。月刊「ボラナビ」をモデルにして、名古屋で冊子が発行され、北海道内旭川や帯広でも類似の冊子の発行が検討されているようである。月刊「ボラナビ」が札幌市内で無料で配布されている事で、ボラナビ倶楽部の知名度も高く、知名度の高さは北海道内で各種事業を展開するときの強みになっていると考える。しかしながら、団体の独自事業である「月刊ボラナビ倶楽部」の発行が赤字であり、バナー広告の協賛金へ依存する「ねっとぼ金」と「ごちボラ」の収入も団体を維持するのに十分なものではない。そのため、中央官庁や地方自治体の委託事業を受託し、常勤スタッフの人件費を委託事業の経費へ振り分けることで、なんとかやりくりをしているようである。
 ボラナビ倶楽部の事業規模は3,630万円と、北海道のNPO支援組織としては大きい方である。これは行政からの委託事業や助成金が8割以上を占めており、多少、水ぶくれ的な規模になっている。経済産業省の市民ベンチャー事業は、半分はシステム開発の外注費になり、北海道からの緊急雇用事業では8割が人件費としてとられてしまう。それでも、繰越金が前期の121万円の赤字から当期の収支額が709万円となり、NPOの経営としてはうまくいっている。安全性の分析に関しても、流動比率が288%と安全性に関しても問題がない。正味財産比率が65%となっているが、これは森田氏が立て替えている分が短期負債になっているようである。金融機関がNPOへの融資をあまりしないため、資金調達に関しては理事者が個人財産を拠出したり、個人保証で金融機関から借り入れて団体へ貸し付けるという、歪んだ構造がある。ボラナビ倶楽部も法人格を取得しているとはいえ、森田氏個人が資金を回すために頑張らなくてはならないという、数字には表れない財務上の脆弱さがあるようだ。
 救いなのはボラナビ倶楽部のスタッフの意欲が高く、また、ボラナビ倶楽部の活動を支援する外部の専門家やボランティアが多いことである。これは森田氏の持つ使命感とNPO支援に賭ける情熱に共鳴したからであろう。森田氏の組織内外へのリーダーシップはボラナビ倶楽部の強みであり、森田氏個人のリーダーシップへの依存が強すぎるのは弱みである。団体のスタッフは、ボラナビ倶楽部の手がける各種事業を行うだけで手一杯であり、団体の運営や制度づくりを行う余力もないようである。これだけの事業規模があるのであれば、専従の事務局長も必要であろうが、団体としての人件費を行政からの受託事業などを活用して切りつめており、事務局長クラスの人材を抱える余裕がないのが現状なのかもしれない。ただ、ボラナビ倶楽部の事業は地域社会に必要不可欠な社会的サービスになっており、ゴーイング・コンサーンを保証するビジネス・モデルへ転換する時期が来ていると考える。例えば、「ねっとぼ金」や「ごちボラ」は個人や企業からNPOへの寄付の橋渡しで、ボラナビ倶楽部がそこでは利益を得ていない。そこにボラナビ倶楽部のコストをカバーする程度の手数料を加えても問題はないと考える。また、ボラナビ倶楽部の持つNPOのネットワークを活用し、教育機関と連動し、ボランティア教育を行う収益事業へ多角化しても良いのではないか。
                                       (文責:河西邦人)