File NO.309 NPO法人 
         あわすの
1.団体概要
団体の種類:NPO法人  代表者:平井建夫氏  代表者の属性:理事長
常勤職員:0名 設立年月2002年 事業規模:3,033万円(2003年11月決算)
2.沿革

富山市から車で1時間弱の場所に富山県大山町がある。立山信仰の地であり、立山開発の拠点になっていた。大山町の鍬崎山の山麓にある粟巣野平を中心に山スキーが楽しまれていた。立山アルペンルートを開発していた地元の富山地方鉄道と、その兄弟会社の立山開発鉄道が30%ずつ共同出資、残り40%の資本を大山町と地権者が出資した第三セクター「粟巣野観光開発株式会社」を設立した。社長は富山地方鉄道から出し、債務保証をする一方、冬場人員が余剰になる立山開発鉄道が会社の管理を受け持った。1960年、粟巣野スキー場の営業を開始した。粟巣野スキー場は富山市から電車で行くことができ、小さなスキー場ながらも人気があった。その後、粟巣野スキー場に隣接して大山町が主導の第三セクターが開発した極楽坂スキー場、富山県営のらいちょうバレースキー場という規模の大きなスキー場が営業を始めたが、スキーブームの恩恵や、比較的難しいコースが多い極楽坂スキー場やらいちょうバレースキー場と棲み分けができ、1981年〜1982年のシーズンには4.4万人の入り込みを記録した。その後も、安定して3万人以上の入り込みがあり、損益分岐点売上高の4,000万円を超える売り上げを確保し、黒字経営を続けていた。

1995年〜1996年のシーズンは久々に4万人を超す来場者があったものの、翌シーズンは気象条件が悪く2.8万人へ入り込みが急減した。その頃、スキー場業界の環境悪化、運営会社の戦略の変化、極楽坂スキー場とらいちょうバレースキー場との競争から、粟巣野スキー場廃業の風評が立った。この風評が追い打ちになり、1997年〜1998年のシーズンに赤字へ陥った。その後の業績は下降線をたどり、1999年〜2000年のシーズンが終わった時点で赤字拡大を懸念した、株主である富山地方鉄道と立山開発鉄道は粟巣野観光開発の経営に危機感を感じた。

粟巣野観光開発の経営実務を担っていた立山開発鉄道のスキークラブ事務局長で粟巣野スキー場の経営に協力していた野崎和彦氏も、スキー場の行く末に不安を覚え、粟巣野地区に住み、スキー場へ土地を貸している地権者の宮本氏と富山県スキー連盟理事長の平井氏へ相談した。スキー場業界自体が、少子化やスキー離れから厳しい状況で、営業の譲渡先を見つけるのは難しかった。粟巣野観光開発へ出資をする大山町は、同町が極楽坂スキー場の経営で手一杯であった。また、地元の既存の会社や受け皿になる会社を新設し、営業を継続する話もあったが、経営の安定性やスキー場に関わる利害関係の問題から、こうした再建スキームは立消えになった。経営がさらに悪化する状況で、2001年になり、宮城蔵王白石スキー場で試みているNPO法人による経営再建案が浮かんできた。同年7月、立山開発鉄道の野崎氏と上司は、宮本氏、平井氏の両氏とNPOを作り、粟巣野観光開発のスキー場営業の譲渡先にするスキームを協議した。地元の商工会長ら有力者の賛同も得て、NPO設立の環境整備が整い、20023月にNPOあわすのの設立総会を開催した。

 NPOあわすのは、当初、基金を作り、運転資金などに充てて経営を安定させようと考えた。地元やSAJ富山県連も好意的であったが、県からの指導もあって、基金ではなく入会金と会費ということで落ち着いた。県内初のスキー場を経営するNPOのため、それ以外にもNPOを管轄する富山県からいろいろ指導があったが、元富山県職員で、NPOわすのの初代理事長であった塚田氏が根回しを重ね、NPOの申請がスムーズにいくようになった。そして、2002826日に特定非営利活動法人 あわすの」認証を得て、95日に法人登記された。登記後、NPOあわすのが粟巣野観光開発から索道事業を譲渡され、運輸局から索道事業者として認可を受け、スキー場の土地と索道施設はNPOあわすのがそれぞれ地権者と粟巣野観光開発から借り受ける形になっている。粟巣野観光開発所有の圧雪車2両の内1両はNPOあわすのへ無償譲渡された。残り1両は老朽化していたため、NPOあわすのが中古圧雪車1両をローンで購入した。そして、2002年〜2003年のシーズンからNPOあわすのがスキー場を経営することになった。リフト券の料金は利用者本位に改められ、高齢者割引の券や平日限定券なども新設された。スキー場への入り込みは前年度比で163名増加して1万6,313人となったものの、リフト券の値下げなどからリフト収入は2,394万円と逆に約200万円減少した。しかしながら、設立時の資金残、入会金や年会費の収入を加えて3,033万円、借地代の値下げや運営コストの削減などの恩恵で剰余金348万円を計上したが、減価償却によるもので資金的にはほとんど残っていない。

3.事業概要

 スキー場の経営を再生するために、スキー場の施設所有とスキー場の運営を分ける上下分離方式を使用している。NPOあわすとスキー場の前の経営主体である粟巣野観光開発は、営業権の賃貸借の関係にある。粟巣野観光開発はNPOあわすのへスキー場の索道事業者としての認可、スキー場用地の賃借権を譲渡した。そのため、NPOあわすのが運輸局から索道事業の認可を受け、地権者から事業用地を直接借り受けている。そして、粟巣野観光開発はNPOあわすのへスキー場の商号、顧客リスト、索道施設などの営業権を賃貸している。営業権の賃貸料はNPOあわすのの損益分岐点売上高である3,000万円を目安に、売上高が3,000万円を下回ると賃貸料は600万円になる。600万円という金額は粟巣野観光開発が索道施設を保有することで負担する固定資産税と、同社の借入金の金利分に相当する。収入が3,000万円を超えると、営業権の賃貸料はスライドし、収入が3,000万円を下回ると粟巣野観光開発の減価償却分をカバーできる600万円を下限にし、支払う契約になっている。索道の更新は、本来、所有者である粟巣野観光開発が、設備の補修はNPOあわすのが行うべきであるが、こうした賃貸料のスライドを行っているから、更新については、その都度協議する旨も契約に入っている。

 粟巣野スキー場の土地は民有地を借り上げているため、借地代も支払わなくてはならない。借地代に関してもNPOあわすのの損益分岐点売上高を実績の売上高が下回った場合、借地代は地権者と協議して決定されるという契約にしている。2002年〜2003年のシーズンの借地代は、結果として310万円に決められた。

 こうした費用をNPOあわすのの売上高に応じて、柔軟に変化させ、赤字にならないようにするスキームは、粟巣野観光開発もスキー場用地の地権者も、NPOあわすのが経営破綻し、スキー場を存続させられないと利益の喪失につながるからである。スキー場存続のため、粟巣野観光開発も地権者もNPOあわすの設立に尽力し、自らの短期的利益を削ってもNPOあわすのの経営を支援する行動を取るのである。また、スキー場が産み出す経済的恩恵を受けている地域住民の意向も、彼らの意思決定へ影響を及ぼしていると見られる。粟巣野地区の多くの世帯はNPOあわすのの会員になり、地域全体で粟巣野スキー場を支えている構図ができあがっている。例えば、スキーをしないのに会費を支払う住民、無料でスキーの講習会を行う住民、ボランティアでスキー場の整備や運営を行う住民、土木の技術を活かしてコース造成を実費だけで行う住民。それぞれが自分たちで協力できる範囲で、スキー場の存続に力を貸している。


4.分析

スキー場の運営は、NPOあわすのに常勤スタッフがいないため、立山開発鉄道とその従業員で作る立山開発スキークラブに委託している。立山開発鉄道は、以前のスキー場の経営主体である粟巣野観光開発へ人員を派遣し、スキー場運営を行っていたので、人材は十分にいる。派遣人員は、オフシーズンに索道のメインテナンスは必要な時だけ、スキーシーズンにおいてはスキーの索道関連で8名、事務所に1名、リフト券売り場に1名、スキー場のパトロール1名、合計11名を最低限度の人数とし、その対価をNPOあわすのは2002年〜2003年のシーズンで立山開発鉄道へ650万円を支払っている。立山開発鉄道は冬場の立山アルペンルートに関わる従業員の仕事がないことと、粟巣野観光開発へ出資していることもあって、格安で運営受託している。リフト券の改札も、費用対効果の視点から廃止され、利用客が自主的に回数券を箱に入れる形にしている。平日は10名の人員配置で足りるが、土日祝日は駐車場の誘導要員やパトロールの増員はボランティアが手伝っている。また、オフシーズンの用地の草刈りは、2002年〜2003年のシーズンに関して、NPOあわすのの会員である地元の業者に依頼したが、2003年〜2004年のシーズンはボランティアで行うことになっている。

NPOの組織運営で欠くことができないのは、ボランティアの力である。NPOあわすのもスキー場を存続させるという使命に共鳴した会員が、積極的に参加している。ボランティアとして参加した人たちへは、提供した労力に応じて、人夫賃の概ね半分から1/3程度に相当するリフト券と引き替えできる権利を供与している。例えば、3,000円と設定されている労働をボランティアで行った人は、3,000円のリフト券と引き替える権利を得る。家族や友人とゲレンデへ行ったときにその権利を行使して、リフト券を無料で購入できる。また、営業中のボランティアには、索道やゲレンデの安全確保上も参加を義務づける必要があることから、ガソリン代相当の交通費と、近隣の飲食店で飲食できるチケットを供与している。すなわち、実質的にキャッシュアウトを伴うボランティアの費用は、交通費、食事費、保険料ということになる。また、地元金融機関から運転資金の確保のため、短期の借り入れを行っているが、理事全員の個人保証で借り入れている。NPOああすのの使命に共鳴した多くの会員の献身的な努力がNPOあわすのの運営に注がれており、NPOが求心力の場として十分に機能しているようである。

NPOあわすのは行政からの補助をほとんど受けておらず、地域住民と企業との連携から経営されている。前項で説明したように、スキー場が地域経済へ大きな影響を与えるため、スキー場に関わる利害関係者が少しずつ負担を担い、厳しい経営状況をなんとか維持している。その結果、スキー場の損益分岐点売上高は、粟巣野観光開発が経営していたときより1割程度下がっている。2002年度は当初の予算に対して、400万円少ない費用ですんだ。地域住民との連携の強固さは、入会金や会費が当初の予算に比べて220万円増加していることにも現われている。また、売上を増やすため、NPOの会員が積極的に集客を図っている。NPOあわすのと富山地方鉄道は協力して、スキー場のリフト料金と交通料金をセットにした格安な商品を販売し、自家用車を持たない人たちの集客に努めた。その結果、入場者数は前年度比微増と健闘しており、NPOへ経営が移転された効果が多少なりとも出ている。しかしながら、リフト料金の値下げ、営業期間の短縮、ボランティアへの対価として無料のリフト券を供与したことから、索道収入は予算に対して650万円少なかった。そのため、今後も地域住民がNPOあわすのの経営へ積極的に関わることで、スキー場の入り込みを増やす努力が必要となる。一方で、地域社会から支援されるNPOゆえに、事業で制約が生まれることもある。もっとも大きな制約は、NPOあわすのは収益事業として、飲食業やレンタルスキー業を手がけられない。それは地元住民の中にそうした事業で生計を立てている人もおり、競合するからである。

今後の経営戦略は集客を増やすことを中心に行われる。2003年〜2004年のシーズンは地元の人たちによるイベントを増やし、富山地方鉄道と立山開発鉄道の協力を得て、近隣にある立山自然少年の家へバスを出して集客することや、スキー場シーズン券と鉄道定期券をセットにした新しい割安なセットを出すことが企画されている。NPOの支援者である富山地方鉄道にとってはマイナスになるものの、地元地主から遊休地を無料で借り受けてスキー場の駐車場を増設し、土日祝日の混雑に対応する。一方、スキー場そのものの魅力を増やすための施策も行われている。20032004年のシーズンを前にしてスキー場のコース改修が行われており、コースの斜度修正によってより滑りやすいコースになるはずである。スノーボーダーなどのニーズに対応してキッカーと呼ばれるジャンプ台の造成もボランティアによって行われている。また、スキー場の管理区域外の町営のクロスカントリーコースの管理を自主的に行っており、同コースの遊歩道化と関連施設の整備を大山町に要請している。

2003108日野崎あわすの事務局長よりヒヤリング)