File NO.310 NPO 

大麻にパークゴルフコースを手づくりする会
(あじさいの会)
1.団体概要
団体の種類:任意団体  代表者:船戸実氏  代表者の属性:会長
常勤職員:0名 設立年月2001年 事業規模:
2.会の発足沿革

1990年代中盤から大麻地区でパークゴルフ同好会が活動していた。江別市はグリーンボールというゲートボールに似たスポーツを応援していたので、パークゴルフの愛好者には冷たく、曙町にパークゴルフ場が1カ所あっただけであった。大麻から曙町までは遠いため、2000年に、江別市へパークゴルフ場建設を議員に通じて陳情していた。江別市は財政難を理由に、色よい返事をしなかった。

大麻元町に札幌盲学校があり、盲学校生にパークゴルフを楽しんでもらうため、小さいながら9ホールのパークゴルフ場を持っていた。大麻パークゴルフ同好会のメンバーの一人である掛田氏が札幌盲学校へ通信機器の営業に行ったら、札幌盲学校の酒井校長(当時)から札幌無学校の敷地内にパークゴルフ場を作ってくれるのであれば、敷地内の空いた土地をパークゴルフ同好会へ開放しても良いと言われた。この時は商談のついでの雑談程度に留まったが、20013月に札幌盲学校の酒井校長から大麻パークゴルフ同好会の船戸さんへ再度、地域住民が喜ぶのであればパークゴルフ場を開放して良いとの話があった。

船戸さんが札幌盲学校からの申し出を大麻パークゴルフ同好会へ持ちかけたところ、自分たちでパークゴルフ場を造成してまでやるべきかどうかで揉め、結果として役員会で否決された。しかしながら、札幌盲学校からの申し出を諦められない船戸さんを始めとする8人のメンバーが集まり、大麻パークゴルフ同好会の活動を継続しつつ、新たに「大麻にパークゴルフコースを手づくりする会」(通称あじさいの会)を立ち上げ、自分たちの手で札幌盲学校の敷地内にパークゴルフコースを造る事にした。

3.苦難の末に手づくりパークゴルフコースを完成

あじさいの会を立ち上げたものの、建設会社に勤務した事のあるメンバーも板が、誰も本格的なパークゴルフコース造りのノウハウを持っていなかった。また、造成するための資金もなかった。そのため、当初は雑草を刈って、少し整地して遊ぼうという程度だった。メンバーは既に定年などで仕事を退いていたので、試行錯誤しながら、まず、札幌盲学校のグラウンド内にパークゴルフコースを造成し始め、20019月に9ホールを完成させてそこを平原コースと呼んだ。資金は会費として少しずつ集めた。2002年の4月にさらに9ホールを追加造成し、完成させた。ここは札幌盲学校の生徒が中心になって使用するため、週末に限って、あじさいの会の管理の下、あじさいの会会員へ開放した。

札幌盲学校には、校舎を建築したとき、資材や廃材を置いていて、そのままになった荒れ地があった。あじさいの会は札幌盲学校の許可を得て、そこにもパークゴルフコースを造成する事にした。荒れ果てた土地で、コンクリートの廃材や大きな石などがあり、メンバーは毎日、朝から晩まで慣れない肉体労働を、専門の道具などなかったので倍は苦労しながら行っていたが、苦痛ではなかった。むしろ、仲間と共通の目標に向かって苦楽を共にする楽しさを感じていた。あじさいの会のメンバーの中から、作業の合間に雨風をしのげるクラブハウスを欲しい、という意見が出てきたので、船戸さんが旧知の北清企業の社長に産業廃棄物としてプレハブハウスがないかと尋ねたら、中古のプレハブハウスを寄贈してくれた。そのプレハブハウスの中で休憩中、メンバー同士で話していると、最初は江別市の西公園にあるグリーンボール場程度になればいいと言っていたのが、芝生の立派なパークゴルフコースを造ろうと夢が次第に膨らんでいった。

しかしながら、良いパークゴルフ場を作ろうとすれば、整地、芝生の種まき、芝育成のための肥料、などを建設会社や農家へ外注するしかなく、その費用は120万円かかることがわかった。8人のメンバーはいずれも既に仕事をリタイアした身。貯金や年金があるといっても120万円をメンバー内だけで集めるのは大変なので、私募債を発行し、調達することになった。まず、メンバー8人で3万円ずつ出し合った。残りを1516名の地域住民が15000円(賛同金)を出資してくれ、なんと120万円が集まった。夢創造(ゆめづくり)という会員の知り合いの会社へ発注し、そこが窓口になって下請けを使って、すべての作業を行ってくれた。また、建築重機で地ならししてくれた地元の住吉産業の社長が、あじさいの会の活動に感動して、プレハブを新たに寄附してくれた。200110月に、土地の整地が終了した。スタート台はメンバーの知り合いの企業から寄附してもらった。

土地の整地は終わったが、問題は芝生を植え付け、育てる事であった。残念ながら芝を育成するための水道設備がなく、このままでは芝生を育てるのが大変であった。また、芝生を管理するための農機具もなかった。200110月に、船戸さんは江別市の広報で助成金の告知を見つけた。江別市がふるさと創世基金1億円を基にし、市民活動の補助をするための助成金である。早速、船戸さんは江別市に、水道設備70万円、スプリンクラー70万円、芝刈り機100万円で合計2349万円の助成金を申請したが、こうした活動に助成した例がないということで、窓口になってくれたスポーツ課からは取り下げて欲しいと言われた。納得がいかない船戸さんは、申請を却下する理由を文章で開示して欲しいと迫ったところ、助成金の運営を行っている久保江別市政策審議室長があじさいの会の活動成果を高く評価し、企画課で引き受けると言ってくれた。20025月に2349万円の助成金許可通知が来た。すぐさま工事を発注し、夏の芝の養生に間に合わせた。

 芝は1年間、熟成し、オープンは翌20035月頃を目途にすることにした。芝以外に、スタート台、ホール、案内板等々の備品が必要で、最初はそれらを手づくりしようとしたが、5月のオープンに間に合わないことがわかった。会費を3000円から5000円に値上げして資金を集めようという案を役員会が提案したが、否決された。そこで、企業へ営業をかけ、企業広告(寄附)は11社、101万円集めた。その結果、手づくりという理念には反するが立派なコースが完成し、20035月、かつて荒れ地がパークゴルフコースとしてオープンし、山岳コースと呼ぶことになった。


4.市民による手づくりPFIの成果

あじさいの会は、パークゴルフコースを自分たちの汗、知恵、人脈で造り上げた。いわば、市民によるPFIPublic Finance Initiative)と言える。あじさいの会が試算した結果では、あじさいパークゴルフ場は36ホールの建設費が579万円。一方、江別市が公共施設として建設したあけぼのパークゴルフ場は27ホールの建設費が5,841万円。1ホール当たりの建設費に換算すると、あじさいの会によるPFIでは16万円で、行政の公共事業は216万円と圧倒的な差がある。一方、ゴルフ場の管理費に関しては、あじさいパークゴルフの場合、1ホール当たり1万円強、江別市のあけぼのパークゴルフ場は1ホール当たり72万円。地域住民のボランティアパワーを活かした事業のコストパフォーマンスが際だつ。経済面だけでなく、住民が自立意識や郷土愛を持つ効果も目には見えないものの大きいと考える。

過去3年間の活動に関して、あじさいの会の収入は700万円、約半分は補助金と寄付に依存している。賛同金は全体の収入の1/4で、一応、借入金として処理している。企業広告は収入の2割弱を占めるが、収入の継続性では疑問が残る。あじさいの会の安定収入は収入の1割を占める会費・入会金。それ以外に、ボランティアの稼働日数は2,006日となっており、ボランティアのパワーが大きいことを示している。一方、支出の累積は668万円で、設備建設費等が4割、固定資産の取得が35%と大きい。一方、維持費は3割強の200万円程度。新たな大規模な支出がなければ、安定収入である会費・入会金で何とか年間の運営費をカバーできる財政構造である。

あじさいの会会員はスタート時の10倍である83名(200312月末)に拡大し、パークゴルフ場の累積利用者数は4,728人(2003年度12月末まで)にまでになった。パークゴルフ場の運営に関しては、2名のボランティアを日直として配置して、会員の利用を支援し、コースを管理する体制を取っている。ボランティアは責任もって管理をやってくれているので、札幌盲学校からのクレームはない。また、札幌盲学校の総合学習を支援したり、地域の三世代交流をし、地域社会へのより大きな貢献を果たしつつある。その一方で、安定した活動を継続するため、NPO法人化の検討を役員会で提案し、前向きに検討することになった。法人化にあたっては、組織を切り盛りする人材確保が課題になっている。人材不足はネットワークによってカバーすることで乗り切るとしている。
           (200443日あじさいの会メンバー4名よりヒヤリング)

「コストの比較」