File NO.304 NPO法人 
         不忘アザレア
1.団体概要
団体の種類:NPO法人  代表者:三浦義邦氏  代表者の属性:理事長
常勤職員:5名 設立年月1999年 売上規模:1億1,400万円(2001年11月決算)
2.沿革
 1969年、不忘山山麓のリゾート開発を目的に、京成電鉄グループの「白石京成開発株式会社」によって「国設南蔵王白石スキー場」が開設される。この時の索道施設はリフト3基、ロープトウ1基であった。別荘地として山麓地を開発するために、スキー場によって付加価値を高めるのである。1970年代に入り、山頂付近までゴンドラを伸ばし、スキー場を拡張する計画を立てるが、環境庁のスキー場開発上限の規制から実現されなかった。1980年代になって、今度は南隣山に新しいゲレンデの計画が持ち上がるが、別荘地の販売が芳しくなく、計画倒れになった。1985年、他の地域に比べ、後発だったことから経営不振だったため、京成電鉄グループは不忘山山麓一帯のリゾート開発を断念し、スキー場経営からの撤退を決定した。スキー場の施設と営業権、別荘地販売を目的として取得した山林を4億円程度(推定)でゴルフ場開発会社、「エヌシーシー株式会社」(1988年に社名を日東ライフ株式会社、以下日東ライフ)へ譲渡された。
 スキーブームとリゾート開発ブームに乗って、日東ライフもスキー場の充実を図る。1986年に2基のリフトとコースを新設し、増加する入場客に備えて駐車場を増設した。1992年にはいち早い営業開始を狙って人工降雪機を設置した。1993年には輸送効率を上げるため、第1リフトをクワッド(4人乗り)リフトへ架け変えた。この効果は翌1994年から入場者数の5割増加によって現れ、売上も2億3,000万円に達した。しかしながら、近隣にみやぎ蔵王えぼしスキー場があり、競争が厳しく、こうした設備投資を行っても買収資金の借り入れに対する金利支払と減価償却のため、売上は2億円を超すものの赤字基調の業績は変わらず、営業権と土地の買収のための投資も回収できていなかった。1997年、みやぎ蔵王白石スキー場(国設南蔵王白石スキー場から改名)を経営していた日東ライフの親会社である日東興業がバブル期の積極投資が裏目に出て経営破綻し、和議を申請した。日東ライフもその影響を受け、不採算部門からの撤退をはかり、入場者数は10万人を超え過去最高を記録したものの累積赤字で苦しむみやぎ蔵王白石スキー場の経営を分離する方針に決めた。日東ライフは地元の白石市に対して、スキー場の経営を市営もしくは第三セクター方式での継続を要請した。国有林地を使用しているため、スキー場を廃業するとなると、現状回復のために億単位の追加支出が必要で、そうした余裕が日東ライフにはなかったのである。しかしながら、白石市は大型施設を次々と建設しており、老朽化している赤字経営のスキー場へ人を回す財政的余裕が市にはなく、市営は困難であった。また、第三セクター方式の場合、民間出資者が必要であるが、バブル崩壊後の不況期に手を上げる民間企業はあまりなかった。また、出資を希望する民間企業は経営的に不安があるような企業で、第三セクターのパートナーとしては選択できなかった。地元市民の一部から市民のスキー場としての存続が訴えられ、観光協会による経営や地元有志による新会社設立も検討されたが合意には至らなかった。1998年、事業の引受先が見つからず、日東ライフが営業を継続して行うことに決定した。
 1999年1月、日東ライフがスキー場の索道5基、レストハウス、圧雪機を白石市へ寄付したい意向をスキー場支配人の吉田勝次氏を通じて伝えてきた。それを受けて白石市は営業権とスキー場施設の寄付を市議会へ諮り、寄付の受け入れを決定した。白石市による寄付の受けいれの決定により、スキー場の営業の受け皿探しは加速化した。そのような状況で白石市役所職員からNPOの受け皿の可能性が示唆され、スキー場を存続させたい市民を中心とした日本でも例を見ないNPO法人によるスキー場経営の道を探ることになった。市の有志を中心にNPOの研究が進められ、市が施設を所有し、NPOがスキー場を運営するならば、スキー場の存続が可能になるという結論に達した。スキー場存続を願う旅館経営者の木村孝氏が川井白石市長へ訴えた結果、白石市が施設の所有と、辺地債による資金調達で施設への更新投資を行い、事業の運営をNPOへ委託するというスキームで合意した。辺地債とは山間地、離島その他地域について、辺地所在市町村が辺地に係る公共的施設の総合的な整備計画のもとに実施する事業に対して認められる特例債で、元利償還金については80%交付税措置がある。 1999年3月、白石スキー場整備を盛り込んだ辺地総合計画策定案を市議会に提案、承認可決を得る。そして、川井市長がスキー場をNPOへ委託する方針を表明した。
 1999年4月、みやぎ蔵王白石スキー場の事業主体として「特定非営利活動法人不忘アザレア」を木村氏が中心になって立ち上げた。理事長には木村氏の人脈で医師の三浦氏が就任し、長い間スキー場の支配人を務めてきた吉田氏も理事として加わった。個人と法人で約300名近い会員が集まり、初年度の入会金と会費収入は650万円にも達した。一方、白石市側も辺地総合計画に基づいて1億7,483万円のみやぎ蔵王白石スキー場関連補正予算を提案し、市議会で可決した。1998年6月、白石市はスキー場の設置管理等について定めた「白石スキー場条例」を公布、施行した。また、白石市は辺地債起債と補正予算から支出し、第2リフトを架け変え、ロッジの改修などを行い、支援した。8月、宮城県からNPO法人の認証を受け、9月、白石市と不忘アザレアとの間でスキー場の管理委託契約を結び、不忘アザレアは東北運輸局から索道免許も取得した。
 1999年12月、不忘アザレアが管理運営するみやぎ蔵王白石スキー場が開業した。降雪に恵まれ、幸先の良いスタートであった。1999年度シーズン(1999年12月〜2000年3月)は気候に恵まれ、第2リフトのペアリフト化などで入場者が前年度の3万5,535人から4万5,815人へ増加した。リフト収入と飲食収入の増加、従業員のNPOへの転籍に伴う給与の引き下げ、各種の経費削減、スキー場が市の所有になったことから支出の必要がなくなる固定資産税、土地の賃借代、索道補修費の削減によって、不忘アザレアは黒字決算の見込みとなった。不忘アザレアは利益を地域に還元するため、利益の大部分である2,000万円を白石市へ寄付した。翌2000年度のシーズン(2000年12月〜2001年3月)に向けて、白石市は辺地債で手当した資金から3億円を投資してセンターハウスを新設した。また、レストランのメニューの値下げを図った。こうした効果もあって2000年度の入場者数は4万6,418人と微増であったが、レストラン収入の増加などからスキー場の売上は1,000万円増加し、1億円を超えた。不忘アザレアの通期の決算では黒字を計上し、黒字分300万円を市へ寄付した。2001年度(2001年12月〜2002年3月)のシーズンは入場者数の増加はあったものの、リフト料金とレストランメニューの値下げが響き、スキー場の売上は800万円減少した。地域社会への還元と顧客の確保を狙った値下げだが、経営努力により不忘アザレアは前年度並みの黒字を計上できそうである。



3.事業概要
@     スキー場の概要

不忘アザレアが経営する「みやぎ蔵王白石スキー場」は蔵王連峰南麓の不忘山(標高1,705m)の東斜面に位置するスキー場である。みやぎ蔵王白石スキー場はクワッドリフト1基とペアリフト3基、コースは6コース、という中規模のスキー場である。最長滑走距離は1.6km。最上部は1,146mでコースの標高差は300m。最大斜度38°のコースがあるものの、比較的初級、中級者向けと言えるかも知れない。300席のレストラン、ロッカールームなどを有するセンターハウスが主な施設で、1,300台を収容できるスキー場がある。標高がさほど高くないため、スキー場の営業期間は12月中旬から3月下旬までである。車で20分程度の距離には、ゴンドラ1基、リフト10基を持つ規模の大きなみやぎ蔵王えぼしスキー場がある。そのため、県外から来る顧客はみやぎ蔵王えぼしスキー場を選択し、みやぎ蔵王白石スキー場の利用者の多くは県内の近郊地域からの客のようである。

 みやぎ蔵王白石スキー場は、宮城県白石市の中心部や東北自動車道白石インターチェンジから自動車で30分弱の距離にあり、多少道の狭い場所はあるものの便利であると言える。スキーブームの頃は、みやぎ蔵王えぼしスキー場の混雑を嫌った顧客を集客できたが、利用客が減少した今ではそれも厳しい。そのため、みやぎ蔵王白石スキー場は、地元の家族客にターゲットを絞ったマーケティングを行っていると考えられる。18%〜33%の値引きとなる親子パックのリフト券を用意し、子供の対象を中学生までに拡げ、少年と子供が利用しやすい料金体系になっている。また、シーズン券も早期割引を利用すれば、27,000円と安くしている。

A     NPOによる経営のメリットとデメリット

NPOによるスキー場経営へ移行したことで、白石市としてはスキー場を支援しやすくなった。また、NPOということで、利害や立場を超えて市民がスキー場の存続を身近に感じ、スキー場の経営活動に加わりやすくなった。こうした2つのメリットが享受できたことが、NPOを受け皿にした最大のメリットであろう。その一方で、白石市は一NPOへの肩入れ、不忘アザレアは自然保護活動を定款に入れながら、環境保護と対立するスキー場経営を行うことに、地域から批判もあったようである。

みやぎ蔵王白石スキー場の各種施設は白石市が所有し、スキー場の施設管理と運営といった経営はNPO法人不忘アザレアが行っている。白石市から事業委託を受けているが、管理運営の委託料を受け取らない変わりに、設備投資や修繕費の大きな部分は市が行った。こうした所有と経営を分ける上下分離方式によって、スキー場の市営化で500万円の固定資産税支払い義務がなくなり、470万円の国有林使用料は白石市が支払うことになり、スキー場を経営する不忘アザレアの費用節減につながっている。また、設備投資もスキー場を所有する白石市が中心的に行い、不忘アザレアは投資する必要がなく、設備投資の資金負担が少なくてすむし、税金の支払いも少なくてすむ。今後、新たな設備投資が必要になった場合、白石市がこうした経済的負担を負っても、スキー場を存続でき、経営に関するその他の運営費用を負担しなくてすむためメリットがある。また、市民の自主的活動を行政が支援することで、公共サービスの官民協働による提供と市民活動の支援を実現できる。反面、白石市が過疎債で資金調達し、リフトの更新、センターハウスの建設、圧雪車の購入などしたことに対して批判もあり、また、不忘アザレアは第三セクターNPOと揶揄されてしまう原因を作っている。

 NPOの経営ではボランティアの存在もコスト低減に寄与するが、不忘アザレアの場合、ボランティアは労働提供者の5%にすぎず、経済的メリットより市民がスキー場を守るという使命の象徴としての意味合いが強いかもしれない。しかしながら、民間企業からNPOへ運営主体が移行したことで、スキー場の施設整備など技術的な仕事をするフルタイム・スタッフの人件費を下げられたことが人件費圧縮へ寄与している。こうしたコスト面でのメリットにより、損益分岐の利用者数は5万人へ引き下げられ、スキー客減少の時代により適合できる収益構造になった。一方で、NPOにしたことで、NPOの会員がスキー場を自らの財産と考え、スキー客集客の営業を自発的に行って売り上げ確保に協力している。地元の小中学校も体育事業で積極的に使用してくれている。NPOになったことで、サッカーくじの助成金や行政からの補助金も得ている。

NPOの本来事業としては、スキー場の整備、リフト運行、各種の自然教育の事業があり、それに入会金・会費が加わり、非収益事業を構成するが赤字になっている。それをレストラン・売店事業、レンタルスキー事業といった収益事業から生じる黒字で、本来事業へ補填している。スキー場が比較的低い山ゆえに人工降雪機を使用しているのもコストアップ要因であるが、使用日数を最小限にし、リース料を節減するなど経営努力をしている。

インタビューの中で、スキー場の存続に対して、市営、第三セクター、民間企業など受け皿組織が検討されたが、NPO以外では事業は存続できなかった、という声が聞かれた。NPOにすることで理事会システムや情報公開で面倒な仕事が増えたが、それもスキー場存続のための必要なコストと割り切れるものであったようである。

4.分析

NPOによるスキー場の存続は、NPOと自治体が少しずつスキー場存続のために負担を担おうと言えるものである。存続が厳しいスキー場を救うために、地域住民の中からこうした新しいスキー場の再生スキームを産み出したことは、この地域の民力が高いと評価できる。もともと地元自治体の白石市がボランティア育成に熱心であったということも大きいのであろう。また、スキー場再生のプロセスが、地域住民の地域への関心を高め、地域活性化の一助になっている。その一方で、住民という個人が集まった組織であるNPOが、索道や施設といった設備を所有してスキー場を経営していくためには、地元自治体の援助なしには維持が困難という側面もある。スキー場の経営を上下分離方式で、索道や施設を白石市が所有し、スキー場の運営を不忘アザレアが行うという役割分担をできたことが、この事例の成功の鍵になっている。索道、施設、機材を不忘アザレアが所有すれば、設備の減価償却、設備投資、補修などを必要とされ、資金をあまり持たない不忘アザレアでは運営がきわめて大変である。そうした資産を白石市が所有することで、NPOは運営のみに経営努力を注力できる。白石市としてはスキー場という公共的資産を維持でき、スキー場運営で生じる赤字の懸念から解放される。不忘アザレアから白石市に寄付されるスキー場の運営利益は、辺地債による借入金と比較すれば少額であるが、宮城蔵王白石スキー場に関わる白石市の策定した条例と並んで、自治体とNPOの良好な協働関係を示している。

NPOは地域の課題を解決する魔法の杖ではないが、地域の住民の想いと知恵を集め、地域活性化の力を引き出す場やネットワークになりえる。不忘アザレアの誕生と発展は、地域の協働の場やネットワークとして機能していることがよくわかる。しかしながら、こうした協働にも懸念がないわけではない。索道などにさらなる投資が必要になった場合、白石市が投資を負担できるのかどうか。また、スキー人口の減少や不景気などから、スキー場の運営が赤字に転落した場合、NPOの組織形態で安定した運営を続けていけるかどうか。ダウンサイド・リスクが顕在化した時、NPOによるスキー場経営の評価が決まると考える。

2002年10月調査 木村不忘アザレア事務局長、吉田スキー場長よりヒヤリング、2003年9月 NPO全国フォーラムにおける木村氏と菊池白石市職員の講演を参考にした)