File NO.106 (有)マルヤマプランニング
1.会社の概要

代表:丸山香史 住所:北海道札幌市中央区盤渓435-42
設立:1997年 資本金:300万円 業種:造園設計と施工管理

2.会社の沿革
@ 起業のきっかけ
 丸山香史氏(以下丸山社長)は酪農学園大学を卒業後、区画整理事業組合の道路や公園の設計補助を、土木コンサルティング会社でオートキャンプや公園などの設計をしていた。また、役所などの折衝で男社会の壁を感じたこと、アウトドア派ではない丸山社長にとってオートキャンプや公園の仕事が実生活とかけ離れていたこと、自分の創造性を100%活かせる仕事ではなかったので、0から自分で手がけられる仕事をしたいという気持ちが強くなり、199412月に造園コンサルティング会社を退職した。
 しかしながら、在職中は独立したい気持ちはあったものの、日々の仕事に追われ、特に起業の準備をしておらず、会社設立の方法、仕組み、ビジネスプランの意味も知らなかった。退職後は、「マルヤマプランニング」という屋号を使い、自営で設計の仕事を始めた。起業後は不得意な営業や仕事の進め方に関して、会社勤めをしていた夫の政春氏から支援を受け、学んでいった。創業当初から他業者との差別化を経営理念として掲げ、半公共的な屋外空間のデザインと施工を事業領域としていた。約2年間は自宅を仕事場として設計の仕事を受注し、年収450万円程度を得た。

A 会社設立
 19966月、丸山社長に転機が訪れる。北海道経済部中小企業課が、新規創業や起業直後の個人へ事業費の1/2を補助する「北海道起業化促進事業」の広告を雑誌で見かけた。ビジネスプランが良ければ、個人へ補助金を出すということで、当時の行政としては珍しい事業であった。造園設計会社から受託する仕事ではなく、設計から施工まで一貫した仕事をしたかった丸山社長はこの補助金を得て、自分のやりたいビジネスができるのではないかと考え、応募することにした。個人への補助金だったので、評価基準もあいまいだった。他の応募者と独自性を出すため、当時、林業の荒廃が問題となっていたため、道産材や間伐材を活用した、庭に設置するテーブルや椅子などを企画し、加工業者に生産させ、販売するビジネスアイディアを、家族と相談しながら書いた。丸山社長のやりたかった庭造りとは異なる製造の事業であったが、新しい事業の方向を見つけるための挑戦と張り切ってアイディアを書き上げ、2年間で最高1,000万円の補助金を得られるが、1/2補助事業ゆえに補助金と同額の自己資金を必要とした。丸山社長はとりあえず初年度分の1/2の事業費を資金調達しなくてはならず、貯金の取り崩しや生命保険の解約で380万円を揃えた。
 「北海道起業化促進事業」には80名ほどから応募があり、7月に書類審査、9月に面接審査があった。一次の書類審査に通った丸山社長は、テーブルや椅子の1/10の模型を作って独自性を打ち出し、2次の面接審査に挑んだ。間伐材の活用に着目したことも評価され、丸山社長は補助金を得る5名の中の1名に選ばれた。そこで丸山社長は補助金のために380万円を自己調達(貯金、保険解約)し、それと同額の初年度380万円の補助金を北海道から得た。補助金は利益を直接産む原材料の購入などに使えないものの、事業に必要な設備、機材、備品購入へ当てることができた。
 北海道から補助金を得たことで、事業を本格的に進め、個人顧客を相手に商売をするため、個人事業から法人化することにした。19974月、丸山香史氏が代表になって、夫の政春氏と実母を役員にした有限会社マルヤマプランニングを設立、登記した。本店所在地は自宅にし、費用を節約した。補助金は2カ年ゆえに、2年目の資金調達をする必要があった。日頃から付き合いのあった北海道銀行の担当者と相談したところ、丸山社長が北海道からの補助金を得たことや、法人化したことで信用してくれたのか、半年前には渋っていた担当者が300万円の融資をまとめてくれた。

B 事業の成長
 19976月に、商品を販売するにあたり、コピーライターに依頼して木の「モク」と「無垢」を掛け合わせた「MUK」というブランド名を創作し、札幌市で開催された住環境関連「MUK」ブランドで商品の国際見本市へ出品した。また、道内でのイベントへの出品、庭の専門雑誌「ビズ」への広告、HPによる情報発信、などで全国展開を図った。加えて、北海道から初めて個人で補助金をもらった女性起業家ということで、マスコミの取材に取り上げられ、それも大きな効果があった。その結果、1997度の売り上げは680万円であった。しかしながら、価格づけを安くしすぎてしまい、粗利が低かったため、丸山社長の人件費や管理費が捻出できず赤字であった。
 1998年度は北海道からの補助金が切れ、設備、機材、備品などを購入する資金などを自社で賄わなくてはならず、資金繰りが厳しくなった。それでも、ガーデニングのブームや的確なマーケティングによって売上は順調に伸び、1998年度の売上高は1200万円ちょっとに達した。売上の内訳は、9割が庭のエクステリア商品の物販で、残り1割が庭の設計と施工の事業であった。エクステリア商品の販売は相変わらず赤字だったことと、19988月にエクステリア商品を販売した顧客が庭の設計も任せたいと依頼があり、これを機会に事業の戦略を修正し、エクステリア商品を単独で販売するのではなく、それに合った庭を併せて提案する事で、丸山社長が本来やりたかった庭の設計と施工管理の事業に力を入れるようにした。その結果、1999年度の売上高は1,800万円、売上構成比が逆転し庭の設計事業からの売上が多くなった。
 20004月、エクステリア商品だけではなく、庭そのものを売ろうという経営戦略の変化から自宅の庭のモデルガーデンが手狭になった。また、会社としての信用度を増すため、丸山社長は思い切って札幌市盤渓に土地を購入し、モデルガーデンと加工施設を持った本社を建設した。本社移転に伴う投資は約800万円であった。盤渓は札幌市中央区の山の中にあり、両隣にはスキー場があるような自然が残る場所である。盤渓は土地の価格が安く、広い土地の確保がしやすい一方、札幌市の円山、宮ノ森、山鼻、旭が丘から、車で15分程度と近いメリットがあった。社屋そのものはプレハブづくりの簡素なものであるが、丸山社長の感性によってセンスの良い建物になった。また、同社の最大の売りものである、モデルガーデンは公共の公園造成と同様に基礎をしっかり作り、その上に英国調の品の良い高級感がある庭を演出した。当時はガーデニングのブームが一段落していたが、丸山社長は高級感がある庭を前面に打ち出すことで、販売単価の上昇を図ろうという意図であった。



3.会社の現状
 盤渓へ本社を移転したのを機に、夫の政春氏が勤務先の会社を辞め、マルヤマプランニングの取締役として参加することになった。丸山政春氏は、主にエクステリア商品の製作とフェンスやデッキなどの木工事を行っている。夏場が忙しく、冬場が暇であるため、夏期のみアルバイトを雇用して、繁忙期に対応していた。2003年度からは人材育成も考慮し、通年でアルバイトを雇用することにした。庭の造園は、職人を中心とした男性社会である。そうした業界の環境で、丸山社長は当初、業界の先輩に対して遠慮をしていた。しかしながら、取引する業者に対して遠慮をすることで、顧客へ提供する価値を下げることにつながりかねないため、今は遠慮をしないで顧客のために、指示をしている。取引先は会社設立当時約10社であったが、現在は約30社に拡大している。また、女性であることを現場では意識せず、服装も汚れても良い格好をし、現場の中に入って施工の管理をしている。モデルガーデンでの営業の時は、女性らしいきめ細かい配慮と視点で提案している。
 客単価は盤渓移転前の3040万円から盤渓移転後は上昇し、現在では120万円程度になっている。その結果、2000年度の売上は2,200万円程度、2001年度の売上は4,200万円程度、2002年度の売上は5,100万円程度と着実に増えている。その間、エクステリア商品の市場は1割縮小し(矢野経済研究所調査)、庭の設計と施工の業界も新規参入が相次いだため、競争が激しくなっている。利益に関しては積極的な投資をしてきたことと、過大なキャッシュアウトを避けるため、2001年度まで赤字決算であったが、2002年度は黒字へ転換した。現在の売上構成比は庭の設計と施工管理で9割、残り1割がエクステリア商品の販売である。将来は、デザインの売上が半分を占めるようにすることを経営目標としている。
 営業に関しては、「オントナ」(情報紙)と「リブラン」(住宅専門誌)に広告を掲載することと、モデルガーデンでのプレゼンテーションくらいで、積極的には行っていない。2002年までは新規顧客が多かったが、2003年に入ってリピーター顧客や紹介客が増えている。販売件数は多少減っているが、客単価の上昇で補って余りある状況である。丸山社長は今後の経営戦略として、売上や利益の成長よりも仕事の質を向上させることに徹し、顧客もより高額所得層にターゲットを移す考えを持っている。そのため、札幌の気候特性に合わせた高級感がある庭造り、一生使える本格的な造園、などを武器に、差別化する競争戦略を志向している。2003年度の売上は5,500万円を見込んでいる。
                      (
2003104日ヒヤリング)