File NO.042 内子フレッシュパークからり
1.「からり」が生まれた背景
(1) からりが生まれた背景

内子町では1975年頃から国道沿線で果樹園の露天販売や観光農園に取り組む農家が現れ、1982年頃からブドウ生産者を中心に本格的な観光農園に取り組むようになっていった。農産物の輸入自由化、農業生産者の高齢化、農産物価格の低迷など農業を取り巻く環境が悪化する状況で、観光農園の成功から農産物の新たな販売チャネル開拓が模索されることになった。1992年に果樹農業と内子の町並観光のイメージを活かした農業活性化計画「フルーツパーク構想・基本計画」が内子町によって策定された。

この構想は、農業経営の安定、内子農産物の展示的販売施設常設によるイメージ向上、農業関連ビジネスの創出を目的に、高次元農業化による付加価値の取り込み、都市と農村の交流、農業の情報化を手段としている。高次元農業化はサービス業の視点を取り入れ、加工品と飲食を行うことである。都市と農村の交流は、消費者と生産者が常設の販売施設における産地直売を通じて、顔の見えない関係から顔の見える関係へ変化し、結果として内子のブランド作りに貢献させる意図があった。生産者と消費者の交流を進めることで、農業生産者は刺激を受け、一方、消費者が内子町内外から訪れ、内子町の経済を活性化することを目的とした。農業の情報化は気象情報から農産物の販売情報までトータルで有益な情報を生産者へ提供することで、経営支援を使用とするものである。

この構想を実現するため、内子町は1993年から94年にかけて、合意形成するための座談会を、農村部の集落で50回くらい開いた。こうした手間暇がかかる地道な努力により、農業生産者の関心が高まった。1994年、特産物直売の実験場として「内の子市場」を開設することになり、呼びかけたところ、70名の農業生産者、特に女性が多く集まった。彼女たちの多くは、農家や農村という保守的な風土の中で、新たなやりがいを求めたいと考え、応募してきたようである。「内の子市場」は市場調査と産地直売を行う出品者の訓練の場として機能した。出品者たちは実践のトレーニングを通じて、産地直売と直売場運営の理念を共有し、価格設定、品揃え、接客など今まで知らなかったことを学んでいった。また、出荷、引き取り、精算に関する課題が、情報化を推進する動機にもなった。そして、何よりも諸費者と直接接する喜びから、農業へ新たなやりがいを発見し、直売所運営の課題も出品者全員が一致団結して解決していく、という協働と学習の組織文化が形成された。

(2) からりの開業と成長

「内の子市場」による運営のための実験と訓練が行われる一方、特産物直売所の施設と運営組織作りも行われた。1995年から農水省の補助金を活用した施設の建設が始まった。また、19965月の連休中に、「内子フレッシュパークからり」(以後「からり」)の直売所と情報センターが開業し、内子町が施設の運営をしたが、特産物直売所の自体の運営は直売所参加者による協議会が中心となって行った。そして、1997年に「からり」の運営会社として、「株式会社内子フレッシュパークからり」(以後「内子フレッシュパークからり」)を資本金2,000万円で設立した。出資者は、内子町が1,000万円を出資して、残りを、直売所の参加者を中心とした内子町民や農協を始めとする諸団体が出資した。代表取締役社長は内子町長、「からり」の支配人兼施設長は役場からの出向である。「内子フレッシュパークからり」は、情報センター部門を除き、内子町に代わって施設の運営と管理、直売所の運営支援、レストランなどの直営事業を行う位置づけであった。また、情報センターに隣接して地場農産物を使った洋食レストランと加工施設、自然を生かした吊り橋歩道が順次完成していった。総工費は135,000万円、内45,000万円が国や県からの補助金で、残り9億円を内子町が起債(83,800万円)などで資金調達し、単独事業で支出をした。

「からり」は人気を集め、直売所の販売額が順調に増加し(図表1)、「内子フレッシュパークからり」の初年度は152万円の赤字であったが、翌年度からは少額であるが黒字を計上している。少額黒字ゆえに株主へ配当はないが、株主は1株につき5,000円分の「からり」利用優待券が与えられる(2002年度)。また、運営会社もパン、薫製、シャーベットなどの加工販売を新たに開始し、「からり」の魅力を向上させている。また、各種の加工体験を行う教室を開催し、農産物を買い物し、飲食するだけでなく、農産物体験をも提供するようになり、新たな顧客層を獲得していった。「からり」の人気ぶりを見た他の農業生産者も「からり」へ出荷するようになっていった。出荷者の増加が競争を生み、より良い農産物の販売をもたらし、それが消費者をより惹きつける、という好循環が生み出された。2000年には「内子フレッシュパークからり」が4,000万円へ増資をした。内子町が株主割当により1,000万円の増資を引き受け、第三者割当てにより町民1株株主が1,000万円出資した。2001年には、内子町は地元の農産物を使って農産物加工を行い、うどんや軽食を提供する「あぐり亭」を、「からり」に隣接して完成させた。町は高齢の女性農業者グループ「内子アグリベンチャー21」に「あぐり亭」の運営を任せ、農業ビジネス活性化を目論んでいる。

(図表1)「からりの直売所販売額推移」



2.内子フレッシュパークからりの経営
(1) 事業の概要と事業モデル

「からり」の組織構造は、内子町産業振興課が直接運営する情報センターと、内子町の第三セクターである株式会社「内子フレッシュパークからり」が運営する収益部門がある(図表2)。情報センターはからりと密接に連携を図り、直接収益を得ない、農業と「からり」の情報化支援を行っている。「内子フレッシュパークからり」は、「からり」の施設の管理部門、直売・シャーベット加工販売部門、レストラン部門、パンやハムを加工する加工部門、農家の高齢女性が調理するあぐり部門に分かれている。直売・シャーベット加工部門の運営は、出荷者と運営委員から構成される直売所運営協議会が意思決定機関として機能し、出荷者たちが自治を行って、様々な規則や運営方法を決定している。直売所運営協議会の中に、6つの専門部会があり、イベント企画、店舗レイアウト提案、情報紙の編集、加工品の新開発など、「からり」の運営に関わる具体的提案を立案する。あぐり部門も直売・シャーベット部門と同様の構造で、あぐり運営協議会が様々な規則や運営方法を決定している。あぐり運営協議会にも専門部会があり、麺、製菓、加工品の製造を行う3つの部会と「内子あぐりベンチャー21」へ任されている飲食店部会が運営の主体となる。施設管理部門、レストラン部門、加工部門は第三セクターの直営事業になっている。「からり」の運営が、第三セクターだけでなく、出荷者などの利害関係者を引き込み、自治を行わせている理由としては、農業生産者を農業ビジネスの自立した担い手として育成したい、という内子町の戦略が背景にあると考える。

(図表2)「からりの事業モデル」


「からり」特産物直売所は、直売所への出荷者を中心とした運営協議会が運営を行っているが、それは「内の子市場」での2年間で得たノウハウが活かされたものであった。特に、双方向の農業情報連絡システムと、販売管理システムを結びつけた「からりネット」は、「内の子市場」で生じたバーコードシール作成、販売状況把握、精算といった課題を解決する回答であった。「からりネット」は直売所内のレジPOSと、「からり」へ出荷する農業事業者宅の多機能FAXLANと電話回線で結び、販売や精算の情報を出荷者と運営会社双方が知りたいときに引き出せて、事務処理効率の改善と効果的な営業を行えるようにした。「からりネット」は後に、気象観測情報が組み合わされるようになった。また、「からり」内にある農業情報センターでは、先進的な農業経営を行うための支援、顧客管理、農業簿記、ビラやHPの作成を行うためのパソコン講座を開催している。

「からり」に出荷し、農産物を売りたい場合、直売所運営協議会に申し出る。直売所運営協議会は、内子町で自ら生産しているかどうかなど、参加者の資格要件を審査し、「直売所運営協議会」への参加の可否を決定する。出荷者は入会金3,000円、年会費1,000円を支払えば、「からり」への出荷が可能になる。直売所運営協議会からの除名も会則にあるが、今のところ除名者はいない。直売所への出荷は内子町で自家生産した商品ならば自由に販売できる。出荷量の制限などもなく、直売所の商品の売れ行き具合を考慮して、価格と出荷量を決定する。出荷者は出荷時に施設内の「生産者の部屋」にあるパソコンで商品コード、単価、数量を入力してバーコードシールを自ら作成し、農産物の入ったビニール袋に貼り、直売所の台の上にあるカゴの空いた場所へ入れておく。消費者が気に入った農産物を取り、「内子フレッシュパークからり」が担当するレジへ持って行き、精算する。その情報は「からりネット」を通じて、生産者へ伝わる。自分の農産物の売れ行きが良ければ、農産物を収穫し、FAXで情報を送り、「からり」へ持ち込めばよい。売上は月に2回、運営会社から生産者の口座へ振り込まれる。生産者は余計な手間がいらない。スーパーや農協という流通経路に農産物を流すと、販売価格に占める粗利益は約30%にしかならず、価格も自由に決められないし、安定した出荷量も求められる。それに対して、「からり」へ持ち込めば、価格を安めに設定して、販売金額の14.2%を手数料として「内子フレッシュパークからり」へ、0.8%を運営手数料として直売所運営協議会へ支払っても、粗利益率は65%で、農業生産者に残る利益はより大きい。

「からりネット」で使用されるバーコードには生産者の名前と電話番号が記されている。そのため、生産者と消費者が直接交流できる、顔の見える関係が形成されている。そのため、消費者が直接生産者へ農産物を注文したり、逆に商品のクレームをつけることもある。こうした関係が結果として「からり」の固定ファンを生み出し、生産者も消費者の直接の声を聞くことで生産への励みになっている。また、直売所運営協議会が出荷者に対して農産物の袋詰めや掃除を義務化している。そのため、出荷者は月に数回、当番として「からり」につめるが、それが消費者の動向を観察する良い機会になっている。

「からりネット」は進化を遂げ、2000年に気象ロボットからの気象情報を出荷者へ送り、出荷者はこの気象情報を基に作付け計画を立てる。また、2003年からはインターネットを活用した販売情報の活用もできるようになった。出荷者は1時間ごとに電子メールで送られてくる、「からり」における自分の出荷物の販売動向を見て、追加出荷を検討できる。電子メールやFAXを使いこなせない高齢者は電話の音声で情報を獲得することも可能である。従来通り、専門FAXからでも情報を得られる。このシステムは出荷者の利便性だけでなく、販売動向に応じて品揃えを補充するという、自動発注システム的役割も果たす。自動発注システムと異なるのは、販売情報を得た後は出荷者自らが出荷するかどうかの意思決定をできることである。


(2) 経営の成果と未来

「からり」は地元内子町だけでなく、松山市などの近隣市町村からも集客し、2002年度の「からり」が発行したレシート枚数は38万枚となっている。最近では単なる物販と飲食だけでなく、ソーセージの加工体験も楽しめる、滞在型施設として人気も高めている。加工体験教室は松山市などの都市部からの客も多く、リピート率は4割と好評を博している。「からり」における直売・シャーベット部門の農産物・商品出荷者の販売額は、1994年に「内の子市場」を始めた年の4,177万円から、2002年度の38,827万円にまで拡大している。「からり」は内子町の農業生産額285,000万円の14%を占める、大きな流通チャネルへ発展したのである。ただし、「からり」の出荷物は少量多品種で、農協やスーパーといった流通に乗りにくい農産物が中心なので、地域の農産物の流通に弊害はないようである。

出荷者数は1994年の100人から2002年の344人になり、販売額も年10万円も満たない出荷者から1,000万円を超える出荷者まで出現している。出荷者1人当たりの平均販売額は113万円(2002年度)で、内子町の農家経営を支える場になっている(図表3)。2002年に出荷者に対して行ったアンケートでは、農業所得の5割以上を直売所で販売すると回答した出荷者が3割にも達していた。「からり」が内子町の農業経済に大きな貢献をするようになったことで、「からり」が開業した当初は女性や高齢農業者が出荷者の中心であったが、最近では専業農家や若者の出荷者も増加している。内子町の農業は後継者不足から衰退をたどっていたが、「からり」が開業してから農業ビジネスが町民の間で注目されるようになり、毎年1名程度の後継者が生まれ、Iターン就農者も7名を数え、内子町の農業活性化の目的は達している。

(図表3)「からりの出荷者の推移と1戸当たり年間販売額」

 政府が推進する市町村合併政策に伴って、内子町も近隣の五十崎町、小田町と合併協議会を結成し、合併に向けての話し合いを進めている。自治体が合併すれば、内子町が中心になって創造した「からり」も当然影響を受ける。「からり」は五十崎町と小田町の農業者からも評価されており、合併後は「からり」の会員出荷者は増加することが予想されている。そのため、従来以上に集客を図り、直売で売っていかなければならない。そうした状況を見据え、20037月、松山市に「からり木屋町店」を実験的に出店し、オープンした。現在は実験ということで週1回週末のオープンだが、日商は3040万円を確保し、松山市民の間で好評である。町の合併による出荷者の増加に対応した販売力強化は必要で、将来的には需要の多い、松山市内での常時販売が期待されている。また、近年の食の安全に対する意識の高まりから、「からり」では2004年からトレーサビリティを行うことにした。安全性のチェックを受けた出荷者にはバーコードシールにマークをつけることでアピールするのである。こうした取り組みは「内子」の農産物への安心感を高め、生産者と消費者の関係をより密接にして、「内子」ブランドの確立に寄与しよう。

(調査日:2003年12月)