(1) 明宝ハムの成功
岐阜県の奥美濃に明宝村は存在する。以前は明方村という名前で、1992年に明宝村と改名した。村の95%が森林で、主産業は林業、農業、畜産業である。この地域で飼われている豚を使い、1953年 畜産振興、村民の栄養源確保、過疎対策として奥明方農協が明方ハムの製造を始めるが、農協としてあまり力を入れていなかったのか、事業は赤字だった。そのため、明方村が雇用の場を増やすために農協へ提案した、村でのハム生産増加を農協は拒み、反対に隣町の八幡町へ生産を集約しようとした。農協と明方村の方針が異なったため、農協から離れて村が明宝特産物加工株式会社(第三セクター)を1988年1月に設立し、単独でハム事業を行うことにした。農協との不和という偶然が、幸運をもたらしたと言えるかも知れない。農協の工場としてハム事業を行っていたときは、赤字だったため、ハム部門の農協の技術職員は冷や飯を食わされていたため、彼らの6人が明宝特産物加工へ転職した。その結果、ハムの生産に関する技術的な問題はなく、スムーズに生産を立ち上げることができた。
農協は明方ハムの名前でハムを売り続けていたので、明宝特産物加工が生産するハムは、明宝ハムというブランドをつけ、村がプライドをかけて積極的にハムを売りこんだ。出資者でもある村の消費組合が消費促進に協力し、マスコミをうまく使ったり、無料で配布することで明宝ハムを浸透させていった。結果として明宝ハムは手作り高品質のハムとして、ブランドを確立し、ヒット商品になった。明宝ハムのヒットが、その後の村おこしの原点となり、明方村の改称へつながることになった。明宝特産物加工の2001年度の業績はBSEの影響で豚肉の原料が高くなり、低迷した。2002年度は売上が伸びるものの、取引先のスーパーの倒産による償却増加しそうである。
1960年代から始まった村の過疎化と高齢化に悩んだ明方村は、明宝ハム以外の産業振興と経済基盤を確立させるために、1985年頃から高田村長のリーダーシップの下、村おこしを開始した。当時のリゾートブームの中でスキー場開発とそこから生じる波及事業による産業振興が計画された。具体的な計画としてはスキー場事業と、スキー客へ売るための土産物開発と販売の事業をセットにした計画であった。土産物販売も含め、地域総合整備債を使い道の駅「明宝」を作って観光と地域の憩いの場にしようという計画が生まれた。1989年に道の駅「明宝」が開業し、そこを当初運営したのは、1,300万円の補助金を得た任意団体の観光協会であった。収支はとんとんという事前の予想に反して、観光客と村民の利用が多く、経営は黒字になったので、税金の問題から村の書類上村の直営事業とし、1年後の1990年12月に「道の駅」運営のための第3セクター、「明宝マスターズ」を設立し、事業の受け皿にした。出資者は明宝特産物開発、めいほう高原開発、村などである。明宝マスターズで働く人たちの多くは地域の高齢者たちである。道の駅は物産館、レストラン、小売店からなっており、観光客だけではなく、地元客も利用できる施設になっている。
(2) めいほうスキー場の開発
村は村の経済振興と密接に連動させるため、スキー場を直営で経営したかったが、村の事業では本格的スキー場を開発するには資金的に厳しいことと、第三セクター方式の事業に対する支援制度が使いやすいこともあって、第三セクター方式で進めることになった。民間の独走を防ぎ、行政主導でスキー場開発を行うため、コクドやヤマハといった民間企業へスキー場開発を打診した。最初は三井不動産と話し合いを行ったが、三井不動産が望む事業計画の規模が大きくなり、村のリスクが大きくなったので、名鉄・住友グループとの共同事業へ切り替える。1988年、名鉄明方開発株式会社(後にめいほう高原開発)を資本金2億円で設立。村と名鉄住商工業が33%の出資、他に周辺の八幡町、清見村、荘川村、民間企業が出資、社長は高田明方村村長が就任し、村主導の事業であることを明確にした。計画ではゲレンデ面積88ヘクタール、高速クワッド2基、ペアリフト2基、総事業費29億円で、そのうち、ふるさと財団から5億円の無利子融資を受ける予定であった。土地の一部は村有地で、年間5,000万円でめいほう高原開発へ土地を貸し出している。
1989年12月、めいほうスキー場はオープンした。スキー場は6年間で単年度黒字を目標にしたが、バブル景気と、西日本最大級の大型スキー場ということもあって、3年間で単年度黒字を達成した。ピーク時は、年間36万人のスキー客で、客単価は6,000円と潤っていた。その後、スキー客の入りこみが天候不順や不景気などで減少して入り込みは30万人を切ってしまっている。客単価も5,000円へ下落した。結果として会社は赤字へ転落した。加えて減価償却費が2001年度にもっともきつく、売上の低迷と初期の累積赤字から、スキー場運営会社の累積赤字は5兆円弱になっている。2002年度は、集客努力と天候的に恵まれたこともあって経常黒字へ戻り、今後2〜3年(2003年度か2004年度)で運営会社の債務超過解消を予定する。
スキー場の魅力を高め、経済効果を高めるために、スキー場開発計画と同時にリゾートホテルと温泉をスキー場に隣接して作る構想を立案した。しかしながら、リゾートホテルは、通年営業が厳しいという判断からペンディングになった。一方、ホテルを併設しない、日帰りスキー場としても温泉施設は有効であったため、温泉を掘削し、源泉を管理する第三セクター、明宝温泉開発を設立した。1990年12月、第三セクター明宝温泉開発が明宝温泉を掘り当てる。温泉への投資は1億2,000万円だったが、十分な浴場施設がなく、当初は無料で開放していた。そのため、温泉開発に投資した際に発生した第三セクターの債務は、1億2,000万円近くに膨んだ。1995年11月に、村営明宝温泉湯星館がオープンした。湯星舘の中のレストランは、明宝レディースが経営している。総工費7億5,000万円(起債により調達)。年間1,400万円の温泉使用料を明宝温泉開発へ支払う。その収入で明宝温泉開発は、債務を返済する予定である。第三セクターによる経営を行わせなかったのは、第三セクターの資本金が小さく7億円以上の投資余力がなかったことで、村の直営浴場へ第三セクターが源泉を販売するという複雑なスキームを採っている。明宝温泉開発は、現在では形式的な会社として存在するのみである。
(3) 明宝レディースによるコミュニティビジネス
昭和30年代から、明宝村の農業婦人部が生活改善や料理教室の活動を年間5〜8万円の活動補助金をもらってやっていた。村がスキー場を核とした観光立村政策を打ち出した1985年に、婦人部から自分たちでも何かやろうという声があがり、青空市場をやり始める。スキー場に1坪の店を作って、2年間で400万円程度の利益が出た。利益を個人へ分配するのは問題があったため、明方村が婦人たちへ会社設立を勧める。会社経営の経験がないためしぶる婦人部に対して、もし、赤字が出たら村が補填する約束で、1992年7月に第三セクター明宝レディースを村が設立し、婦人部の女性達の事業を継続させた。資本金1,000万円で、村は300万円、店の利益を使って農業婦人クラブが250万円、明宝特産物加工が450万円を出資した。
女性だけの会社という話題性があり、マスコミに取り上げられ、名前が知られた。明宝レディースは当初2つの主要事業を持っていたが、スキー場と温泉の飲食サービス事業の黒字で、農産物加工事業の赤字を埋めていた状況であった。そのうち、以前から婦人部で研究され、試作生産されてきた、村で採れる規格外のトマトの有効活用したケチャップを作ることになった。生産設備は村が産業振興制度の補助金を活用して、用意した。ケチャップはハムの販路を通じて売っているため、明宝レディースは営業をする必要がなく、明宝ハムとの相乗効果もあって少しずつその名前が広がっていった。観光政策の一環で1990年から開催されている明宝JAZZフェスティバルの際にこのケチャップが話題になり、ケチャップが人気TV番組「どっちの料理ショー」で取り上げられ、一躍人気になる。これを契機に加工事業部門の収益性は改善してきたが、黒字の多くは飲食サービス部門であることには変わりない。明宝レディースは毎年、利益を計上し、300万円くらいを村へ寄付している。その寄付金を村はトマト農家への補助として出して、明宝レディースの原料確保に協力している。明宝レディースのケチャップ生産の生産能力には制約があるため、百貨店やスーパーへの出荷は困難であり、交流人口を増やしたいという村の意向もあって村の物産館や通信販売を中心に販売し、販売量は少ないが、手作りの付加価値と希少性を捨てないようにする。ケチャップ以外に漬け物も生産しているが、あまり利益率が良くないのが悩みの種である。しかしながら、売上の拡大のため、今後は、交代制による長時間稼動で生産能力を増やすかもしれない。
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