File NO.021 株式会社グリーンズ北見
1.設立の経緯と沿革

株式会社グリーンズ北見は、北見市内で採れる玉ねぎの付加価値を高めることを目的として、1987年4月に、北見市、北見市の第三セクターである北見振興公社、北見市農協、上常呂農協、相内農協が出資して第三セクター方式で設立された。グリーンズ北見の資本金は1000万円、北見市が260万円、北見市振興公社が250万円、北見市農協が270万円、上常呂農協と相内農協が各110万円出資し、社長は寺前武雄北見市長が就任した。同社の実質的経営は、北見農協から派遣された土赤和男氏が常務取締役に就任し、取り仕切った。北見市としては特産物であった天然はっかの需要が衰退し、それに代わる特産物である玉ねぎを育成しなくてはならなかった。そこで、北見市が主導し、玉ねぎの供給者であり、玉ねぎ加工工場が建設されることでメリットを受けるであろう地域の各農協に出資を募ったのである。会社は北見市所有の遊休地を借りて、将来的には加工工場を建設することになっていた。玉ねぎの生産では日本一の北見市では、変形しているなどの規格外の玉ねぎが年間3万トン程度生産されるが、そうした規格外の玉ねぎをスープやソテーなどに製品化および半製品化して有効活用しつつ、規格外玉ねぎの価格安定を図ることを当面の目的としていた。また、北見市では1984年から第三セクターの北見振興公社を通じて顆粒状のオニオンスープを特産品として販売していたが、販売権はグリーンズ北見へ移動した。会社設立2ヶ月後、北見市長交代から同社の社長も寺前氏から久島正北見市長へ交代した。
1987年6月に神戸のエム・シーシー食品株式会社(水垣宏隆社長)と業務提携を決定する。エム・シーシーは以前から北見地域の玉ねぎを購買する顧客であり、玉ねぎを加工して製品にしたり、一次加工をして販売していた。業務提携の内容は、エム・シーシーがグリーンズ北見へ製品開発と生産の技術を提供して技術指導料を受け取る一方、グリーンズ北見が生産した玉ねぎの一次加工品をエム・シーシーが付加価値を加えて販売する、というものであった。いわば、グリーンズ北見は、従来エム・シーシーのビジネス・システムにおける川上の価値連鎖を代替することになったのである。そして、グリーンズ北見は生産効率化のノウハウを技術供与によって獲得し、同時に一次加工品の販路を獲得したことになり、同社にとってメリットは非常に大きかった。また、一次加工品の生産者にとって獲得することが困難な最終消費者からの情報も、エム・シーシーから得ることも出来る。エム・シーシーは産出できる価値が、価値連鎖のグリーンズ北見への委譲により減少するため、不利な業務提携に思われるかもしれない。しかしながら、エム・シーシーは一次加工をグリーンズ北見へアウトソーシングしたと捉えれば、メリットが見えてくる。エム・シーシーは玉ねぎの購買から二次加工原材料の購買へ転換することで物流および在庫コストを減少させ、品質の安定化を図れ、比較的付加価値の低い一次加工から二次加工へ集中することが可能になったのである。また、売上高の2%を技術指導料としてグリーンズ北見から受け取ることになり、新たな収入が得られる。土赤常務取締役が努力して構築したグリーンズ北見のビジネス・モデルは、同社が早い時期に収益を黒字にする原動力になったと考える。同年9月にはやはり顧客であった淡路農産食品株式会社を加えて、三者間で業務提携を締結する。その際に翌年の取締役会で、エム・シーシーと淡路農産が各5%(50万円)の出資を行い、取締役をグリーンズ北見へ送り込むことも盛り込まれた。2社の出資は、北見振興公社の株式の譲渡によって行われた。その結果、北見市が筆頭株主であることには変わりないものの、北見市と北見市の第三セクターを合わせた行政側の出資分は、3農協の出資分よりも低くなった。グリーンズ北見は顧客企業と業務提携だけでなく、資本提携というより密接な組織間関係を形成し、経営の安定を図ったといえる。グリーンズ北見の売上高のほとんどは、エム・シーシーと淡路農産への販売によってもたらされた。
1988年1月から投資総額3億9千万円の農産物加工場が本格稼動し始める。原材料の玉ねぎの供給が途切れる6月から8月までの間、人参やホーレン草を加工することで設備の稼働率を維持しようとした。人参やホーレン草を加工し、コロッケやハンバーグの材料としてエム・シーシーと淡路農産2社へ販売された。売上高は1987年度(3月決算)の8900万円から1989年度の2億5700万円へ、純利益は1989年度には単年度黒字へ転換した。その後も売上高と利益は順調に伸長していく。順調な生産拡大に伴って、1989年と1990年の2回にわたって増資が行われ、資本金は3000万円までに拡大した。増資分を3農協が引き受けた。グリーンズ北見は工場の加工効率を上げ、出資者である3農協からの原料の受け入れは2000トンを超えるようになった。
北見管内では玉ねぎの生産が増加し続け、そうした状況に対して1991年4月に、北見地区農協組合会長会からホクレン農業協同組合連合会会長宛に対して、北見管内の玉ねぎ加工処理を1万トンに増強する要請がなされた。そこで、北見市内の3農協から供給される玉ねぎの加工を行っていたグリーンズ北見がそうした要請の受け皿となり、北見管内全域の農協からの玉ねぎを加工することが求められた。グリーンズ北見の加工処理能力を5倍程度までに引き上げる必要から、1993年度から3ヶ年にわたって投資総額9億3000万円に達する施設増強計画が立案された。投資の半分は農業農村活性化農業構造改善事業の補助を受けるにしても、これだけの規模の投資を既存の経営体制では賄いきれないことから、グリーンズ北見の増資が行われることになった。1992年7月には従来の出資者が増資を引き受け、北見農協連合とホクレンが新たに出資をすることで、グリーンズ北見の資本金は1億1360万円になった。そして、1ヶ月後の8月には北見農協連合とホクレンが出資額を10倍に引き上げ、同社の資本金は2億1620万円となった。さらに1993年と1994年に2回の増資を行い、共に北見農協連合とホクレンが増資分を引き受け、同社の資本金は3億8720万円にまで引き上げられた。その結果、グリーンズ北見の経営統治体制が、北見市主導から農協主導へ変更される。北見市はグリーンズ北見の経営を安定させる一定の役割を終えたと判断し、同社の経営への関与を減らす事になったのである。従来、北見市長が同社の社長に就任していたが、北見農協連合が筆頭株主になったことから、1994年の株主総会で同連合代表理事会長市川信吾氏が代表取締役社長に就任、取締役副社長には北見市農協代表理事組合長寺前一彦氏が、代表取締役専務として川口宣夫氏がホクレンから出向して就任した。社長と副社長は派遣母体との役職と兼務のため、川口専務が実質的に経営を行うことになった。グリーンズ北見は1万5000平方メートルあまりの敷地を北見市から無償で貸与を受けていたが、経営の主導権の変化を期に1400万円で購入した。
1992年から1995年までの間に14億2800万円の投資が行われて、加工処理量は1万トン規模にまで拡大した。生産規模が拡大すれば、原材料供給の安定と製品販売の安定がいっそう求められるようになる。原材料は、筆頭株主となった北見農協連合が傘下の農協から、事前の取り決めによる価格で必要とする量だけ安定してグリーンズ北見へ供給する責任を負うことになった。価格はグリーンズ北見の経営安定を考え、低めに抑えられていたようである。一方、加工処理量の増加に対して、一次加工品の販売経路として、第2位の株主であるホクレンが新たに加わることになった。北見農協連合とホクレンは単なる株主にとどまらず、グリーンズ北見の経営に責任を持って関与し、同社の価値連鎖と連結されることになった。その結果、新しい経営体制の下でのグリーンズ北見の価値システムは、より有効なものとなり、産出価値は増加していった。加工処理能力が増した1994年度は、玉ねぎの不作から前年度と比較して原料の仕入れ価格が35%強も上昇し、工場増設に伴う歩留まりの低下とあいまって、6億8400万円の売上高がありながら6800万円の赤字へ転落した。翌1995年度は原料の仕入れ価格が35%下がったが、前年度からの在庫の持ち越しもあったため、5割増しの原材料受入に伴う売上高の36%の増加にもかかわらず、再び3900万円の赤字を出した。しかしながら、その後は順調な売上高の成長と安定した原材料仕入れ価格の恩恵で、単年度黒字に戻り、1998年度には補助金無しで2200万円の黒字を計上し、完全に自立した企業となった。

年度 94年度 95年度 96年度 97年度 98年度
宿泊客 15,076 16,943 16,450 16,285 15,982
温泉客 111,479 116,191 118,365 113,613 113,622
2.第三セクターの成果

(図表)「グリーンズ北見の売上高および純利益の推移」(単位:百万円)

年度 87年 88年 89年 90年 91年 92年 93年 94年 95年 96年 97年 98年
売上高 89 257 350 420 505 484 600 684 929 1,112 1,287 1,488
純利益 −4 19 31 34 19 −68 −38 40 22

グリーンズ北見は第三セクターとして設立され、行政から出資と土地の無償貸与という直接的な経済支援を受けている。それ以外に、工場建設のための設備投資に対して農業農村活性化農業構造改善事業の補助金2億800万円を助成され、また、工場増設の際にも同様に6億5900万円の補助金を得ている。また、グリーンズ北見単体での黒字化は設立2年目で達成されたが、この黒字は雇用助成金等の補助金を営業外利益として繰り入れた後の業績である。その後も毎年雇用助成金等を受け、1996年度まで営業利益段階では赤字であるが、補助金によって純利益段階で黒字になるという収益構造となっていた。1997年度からは営業利益段階で黒字となり、翌年度からは雇用助成金を受け取らなくなっている。こうした助成金は第三セクターという公的使命を持った組織であるから、比較的獲得しやすかったということも言えるのではないか。北見市を始めとする行政からの出資を除くグリーンズ北見への直接的経済的支援は11億円になる。それに対して、同社の純利益の累積は7600万円にすぎず、同社単体で見たときの費用対効果はマイナスといえる。
しかしながら、グリーンズ北見が産出した経済価値は、単なる純利益では示されない。地域の農業に対する貢献と雇用機会の提供といった経済効果も、第三セクターという方式の意味合いからすれば考慮すべきであろう。売上高から原材料費を差し引いた値を一次加工化することで産出される付加価値と考えれば、1987年度から1998年度までのグリーンズ北見が産出した付加価値の総額は53億円にのぼる。農協が一次加工せずに規格外玉ねぎを売却していたら、53億円の付加価値は発生しなかったであろう。すなわち、グリーンズ北見は、行政から同社への補助金11億円に対して付加価値を5倍近い53億円産出したことになり、費用対効果は十分以上にプラスである。それ以外の経済効果を勘案すれば、グリーンズ北見の存在はいっそうの価値を持つことになると考える。

3.考察
第三セクターの経営を論じるとき、第三セクターの企業単体の業績だけに目が行きがちである。グリーンズ北見は価値連鎖単体としての企業業績を見た場合、累積黒字化しており、現在では補助金を受けずに自立した企業として評価され、申し分ない。また、補助金という行政側の費用に対して直接的な経済的付加価値の産出は5倍近くになり、グリーンズ北見の組織使命は十分以上達成されているため、地域という制度全体や価値システムから評価しても成功しているといえよう。企業単体での評価と、企業を含んだ制度やシステムでの評価の両方において、成功している第三セクターの例はあまり見られず、グリーンズ北見の経営は高く評価されよう。
それでは、グリーンズ北見の成功した要因は何だったのであるか。まず、組織の使命が地域社会とって必要なもので、支持や支援を十分に受けられたことにある。価値連鎖単体として、利益の産み出せるビジネス・システムを構築できたことである。安定した原材料の供給に、確実な価値を付加できる技術力、そして一次加工品を売り切る需要者の確保である。それらが、グリーンズ北見の設立直後に価値システムとして形成され、有効に機能したことにある。価値システムが有効に機能した要因は、グリーンズ北見と、北見市、農協、販売業者といった協調組織との間に目的と価値観の共有がなされていたことが、まずあげられよう。そして、同社と価値システムを形成する協調組織すべてがメリットを享受するシステムであったため、協調組織の十分なコミットメントが得られていた。協調組織間でグリーンズ北見を支援するための役割分担とそれに伴う責任が明確にされ、各組織が確実に実行したからといえる。また、農産物のエキスパートが責任を持ってグリーンズ北見の経営に携わってきた、という人的側面も成功へ大きく貢献したと考えられる。(1999年8月調査)