生田原町は留辺蕊と遠軽に挟まれた農業と林業を中心とした町で、人口の過疎化に悩んでいた。町には観光資源もなく、昭和42年から宿泊施設や公衆浴場もなくなっており、住民から不満が出されていた。人口の過疎化から定住人口と交流人口の増加を目指した政策を立案しなくてはならず、1989年の竹下首相(当時)の政策で交付された「ふるさと創生金」1億円を使い、コミュニティーセンターを建設する計画が持ち出された。住民アンケートをとった結果、宿泊施設と温泉施設への要望が多かった為、生田原駅周辺整備計画の一環として、宿泊施設、健康浴場、レストランを併設した大型施設を建設することになった。この施設を作ることによって、交流人口の増加をも狙うことができる。1990年頃から温泉の調査を始め、温泉を掘り当てることに成功し、この施設に温泉を引き込むことになった。 このような経緯でコミュニティーセンターの計画が立案され、生田原町で建設、所有し、町が中心となって出資する第三セクター生田原町振興公社を資本金1000万円で設立、同社が経営を行うことになった。同社は町所有の施設を使用する一方、施設使用料を支払うことになる(現在は年間1200万円)。このような事業方式が採用された理由は、町が設備を所有することで固定資産税がかからず、施設に対して減価償却を行わないため、経営を軌道に乗せやすい。一方、宿泊施設等の経営を町が直接関与しないことで、柔軟な経営を行うことができるメリットがあったため、所有が町、経営が第三セクターという所有と経営の分離が行われた。生田原町振興公社は町が62%の株式を保有する筆頭株主で、代表取締役には町長が就任した。それ以外出資者は地元農協や地元企業が20万円から30万円の出資を、現職と元の町議会議員および町4役が10万円の出資をし、株主は28名となっている。施設の建設に当たっては北海道庁と自治省からの補助金5000万円に加えて、3億6000万円の起債によって調達し、建設工事費および備品購入総額は6億2000万円程度となった。1991年7月に8部屋と温泉浴場を持った延べ床面積1500平方メートルの宿泊施設「ノースキング」がオープンする。レストラン施設も当初計画されたものの、生田原町でレストランを経営する希望業者がいなかったため、作られなかった。ノースキングの責任者は町役場OBの山下氏が就任し、経営することになった。 ノースキングは生田原町唯一の宿泊施設として、また、温泉浴場として予想を上回る利用客を集め、施設が手狭となった。そこで、1993年に増築を行い、宿泊施設は和室8室、洋室20室、200名収容の大ホールと40名収容の小ホール、レストラン、スナック、カラオケルームを備えた延べ床面積2540平方メートルの本格的温泉ホテルとなった。増築のための建設費および備品費の総額は10億3800万円程度で、建設資金は主に起債によって調達された8億5500万円が充当されている。生田原町振興公社は宿泊施設、ホール、温泉浴場などの施設のみを経営し、レストランやスナックは遠軽町の民間業者をテナントとして入居させている。増築後1994年5月に再オープンし、以前と同様に人気を博している。1994年度からのノースキングの宿泊利用者と入浴利用者の推移は図表1のようになっている。ノースキングが集客に成功している要因としては、交通の便が良い、温泉施設が近隣にない、ビジネスホテル形式の低廉な宿泊価格とされている。 その後、生田原町は観光客を増やすため、1998年に木のおもちゃを集めた博物館「ちゃちゃワールド」をノースキングから500m遠軽町寄りにオープンした。生田原町では住民による木工芸が盛んに行われていたことと、平成4年に開催された「オホーツク木の祭典」で同町が出展した木のおもちゃを保管する場所が必要になったことから、木のおもちゃの博物館が計画され、建設された。ちゃちゃワールドもノースキングと同様に、博物館の建物と土地を生田原町が所有し、経営は生田原町振興公社へ委託された。ちゃちゃワールドの支配人は町職員が出向して務めている。ちゃちゃワールドの建設費および展示のために集められたおもちゃの購入費の総額は15億円となり、やはり起債によってまかなわれた。ちゃちゃワールドは木のおもちゃの展示室以外に、影絵の美術館、映像シアター、子供たちの遊べる部屋、木工房、軽食レストランが併設された。軽食レストランはテナント形式で、民間企業へ委託されている。このような博物館がなかったため人気を博し、1998年度の有料入館者は143,235人、訳8割が町外からの観光客であった。ちゃちゃワールドへの入場料は800円であるが、ノースキングの入浴料500円を加えた1000円で販売するセット券も人気があるようである。
(図表)「ノースキングの宿泊客および温泉客の推移」(単位:人)
年度 |
94年度 |
95年度 |
96年度 |
97年度 |
98年度 |
宿泊客 |
15,076 |
16,943 |
16,450 |
16,285 |
15,982 |
温泉客 |
111,479 |
116,191 |
118,365 |
113,613 |
113,622 |
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ノースキングの宿泊客は上記の図表のようになっており、1995年度をピークに漸減している状態ではあるが、1995年度は新装開業の効果により多かったと見るべきかもしれない。平均して1年間に16000人程度の宿泊客を得ているが、1日あたり44人程度の宿泊客で、宿泊定員は最大70名なので、6割程度の稼働率と推定される。客室に関しては満室になっていることが多いそうだが、1部屋の定員に満たない人が使用しているようなので、効率的にはあまり良いとはいえないかもしれない。一方、温泉施設の入浴利用者に関しては1996年度の106,543人をピークに、1998年度は101,730人に落ち着いている。温泉施設に関しては、町内を始め留辺蕊町や遠軽町の住民の利用も多いようである。単年度の収支を見ると、1998年度のノースキングの売上高は1億8千万円程度。内訳は宿泊部門が6700万円、温泉部門が5300万円、残りはテナント収入と売店の売上によるものである。経常利益に関しては若干の赤字ではないかと推測される。ちゃちゃワールドに関しては昨年度オープンということもあり、開業効果で予想以上の14万人強の入場者を集めた。ちゃちゃワールドの1998年度の売上高は1億9600万円程度で、単年度黒字であったもようである。その結果、生田原町振興公社の1998年度の決算は、ノースキングの若干の赤字をちゃちゃワールドの黒字が補い、全体として黒字であったようである。こうした業績は、施設を町が建設、所有することからもたらされたものであり、その分は割り引いて考えなくてはならない。すなわち、施設建設に伴う投資や施設の減価償却は、事業運営を主体とする生田原町振興公社の財務には影響を及ぼさないからである。
生田原町と生田原町振興公社を1つの価値システムとして捉えれば、町が投資した32億円の建設投資は生田原町振興公社の単年度黒字で埋め合わせるに至っておらず、累積赤字を抱えた状態であり、また、町債の金利支払いから単年度の収支も赤字であろう。しかしながら、単純な売上高と費用の観点から、価値システムの経営成果を評価すべきではない。価値システムへ投入されたインプットと、価値システムから産出されるアウトプットを比較しなければならない。インプットは資金と労働力であり、一方、アウトプットとしての産出価値は生田原町振興公社単体の利益と地域に与える多様な効果である。効果に関しては雇用の増加や税収の増加といった経済的価値として表されるものもあれば、町のイメージアップという経済的価値へ置き換えにくいものもある。本研究では経済的価値に絞って、アウトプットを産出してみたい。生田原町振興公社の産出する経済効果は、まず、利益であるがこれは少額であるようだ。ノースキングとちゃちゃワールドで雇用されるアルバイト19名を含む33名の雇用創出である。雇用創出によって1億円程度の賃金支払いが推定される。生田原町振興公社が行う取引の相手は、生田原町の民間業者を中心に行われている。そうした取引先への支払い2億円程度と考えられる。こうした生田原町振興公社が支払うことにより産み出す経済効果以外に、生田原町への入り込み増加から生じる効果もある。ノースキングが開業する前は、生田原町の入り込みはきわめて少なく、観光等で町を訪れる人はほとんどいなかった。それが1998年度には13万人程度まで増加している。生田原町振興公社が経営するノースキングとちゃちゃワールド以外で費やされる1人あたりの消費額を1000円と仮定すれば、1億円強の売上が他の業者へもたらされる。生田原町振興公社は地域経済に対して4億円程度の価値を供給していることになる。このような視点から価値産出を考えると、町が施設建設へ行った投資に対して、1998年度の価値産出が維持されれば10年程度で回収できることになる。
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